成人の日、店主は、野を越え山を越え、都内における辺境?に位置する、西多摩郡瑞穂町まで足をのばしておりました。
こちらにある郷土資料館で、開催されている「大瀧詠一の世界」展を観るためであります。
いうまでもなく故大瀧氏は、70年代初頭に日本語ロック論争を巻き起こした伝説のバンド、はっぴいえんどの中心メンバーとして注目を集めると、その解散後、自宅スタジオに籠り実験的な音造りに明け暮れるという世事を逃れる時期がありながら、80年代に入るや突如、「A LONG VACATION」、「EICH TIME」と立て続けに大ベストセラーアルバムを放ってみせるという音楽業界における奇跡の体現者であります。
大瀧氏は亡くなられる2014年に至るまで福生在住とばかり思っておりましたが、実は長くその隣町である瑞穂町に居を構えていたことを今回の訪問にて知りました。
愛用のギター、ターンテーブル、リズムボックスの他、為人がわかるようなきれいに書き込まれた譜面などが並べられたこじんまりとした展示室の中で、氏と一緒に収まった写真が残っている自宅所有の噂のジュークボックスはひときわ目立っておりました。
プレスリー、ロネッツ、べルベッツ、ハーマンズ・ハーミッツ、デイブ・クラーク・ファイブ等々の50`s、60`sから植木等のスーダラ節まで、大瀧楽曲創造の源泉になったドーナッツ盤が60枚収まったこのアンティークは、いわば、氏の「生きた資料庫」。高級オーディオで鳴らすより、アメリカのどこかのダイナーの空気と常連客のハートを震わせていたであろうその音ずばりが重要であり、愛おしかったのでしょう。
瑞穂町から多摩方面特有の渋滞に行く手を阻まれつつ、当店の月いちボサノバライブでお馴染み、アマデュオスのお二人との新年会に臨むため、国分寺にやってまいりました。
荻窪にくる前、長いこと暮らしていた街です。
奇遇にも入れ替わるように、今は貸している店主が住んでいた家と目と鼻の先に、荻窪から越してきたアマデュオスの現モラさん宅があるのです。
そんな懐かしさいっぱいの国分寺の街にも再開発の大波が寄せていて、大規模マンション用の広大な更地が駅を侵食するように宵闇に浮かんでおりました。
ボウイの訃報を聞いたのは、楽しいひとときを過ごしたのち、荻窪に戻って来てから。
渋滞の最中、ナビゲーターの特別なコメントもなくラジオから流れてきた「スターマン」を少し違和感を感じながら聴いておりましたが、おそらく瑞穂町での観覧中にこの知らせは世界中に配信されていたのでしょう。
自身の音楽スタイルやファッションを次から次へとかなぐり捨てていった人。
しかも、第一線でやり遂げ続けたことが、ボウイらしいところでした。
偲んで、懐かしがって、また偲んで。
追懐することが少し多すぎる成人の日になりました。