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 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”というのが、金曜アルック座の主旨なのですが、先週に続き今週も過去この時期ロードショー公開された店主好みの映画が見当たらないので、趣向を変えて、音楽ドキュメンタリー映画をセレクトしてみました。
 そんなわけで今夜のアルック座は、「AMY エイミー」。

2011年7月23日に急逝したエイミー・ワインハウス。映画『AMY エイミー』は、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーやトニー・ベネットらがその歌声を絶賛、レディー・ガガ、ジャスティン・ビーバー、アデルら多くのミュージシャンたちにリスペクトされ、世界中の音楽ファンに愛された彼女の生涯を描いた傑作ドキュメンタリー映画。
1983年、イギリスのユダヤ系家庭に生まれたエイミーは、10代でレコード会社と契約を結び、弱冠20歳で完成させたデビュー・アルバム『Frank』で大きな評価を得た後、続くセカンド・アルバム『Back To Black』が全世界1200万枚のセールスを記録、シングル「Rehab」も大ヒットし2008年のグラミー賞で5部門受賞を成し遂げた若き天才シンガーです。

幼少期からジャズに親しみ、ダイナ・ワシントン、サラ・ヴォーン、トニー・ベネット、キャロル・キング、ジェイムス・テイラーらの音楽を聴いて育ったエイミーは、思春期にニューソウル、ヒップホップ、カリビアン・ミュージックとの衝撃的な出会いを経験。50年代のジャズ、60年代のソウル・ミュージックをアップデートしたサウンドにのせられたグルーヴ感満載の彼女のヴォーカルは、一度聴いたら忘れられません。映画では全編を通して彼女の楽曲が流れ、ブルーノ・マーズなどをプロデュースするマーク・ロンソンやアメリカ音楽界の大御所トニー・ベネット、ラッパーのヤシーン・ベイ(元モス・デフ)らが出演。本物のミュージシャンとしてのエイミーの魅力を解き明かします。(映画「AMY エイミー」公式サイトより)


 2011年、27歳で急逝したエイミー。

 アルコール中毒死でした。

 やはりどうしても、1969年から1971年の2年間に著名なロックミュージシャンたち(ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン)の悲報が相次いだことから、呼ばれ始めた27クラブの因果を思わずにはいられません。

 1994年にカート・コバーンが自死した時も、彼がこのクラブをどこかで意識した可能性も言われました。

 彼らは皆27歳でこの世のステージを降りてしまったのです。


 いつものように夜7時くらいからスタート。

 お楽しみに。







 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”というのが、金曜アルック座の主旨なのですが、今週来週の過去この時期ロードショー公開された店主好みの映画がどうにも見当たらないので、趣向を変えて、音楽ドキュメンタリー映画を急遽セレクトしてみました。
 そんなわけで今夜のアルック座は、「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」。

美しき天才ピアニスト、グレン・グールドは、1932年トロントに生まれ、46年にピアニストとしてデビューした。55年にアメリカでレコードデビューを果たし、同年録音したアルバム『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』がバッハの斬新な解釈、画期的な録音と演奏でベストセラーになり、一躍時代の寵児になった。真夏でも手袋とマフラーを手放さない、異様に低い椅子に座り歌いながら演奏する、1964年以降コンサートを開催せずにレコードだけを発表する……。エキセントリックな言動ばかりが取りざたされる一方、並外れた演奏技術と高い芸術性を持つ演奏で人々を魅了し、死後30年経とうとしている今でも新たなファンを獲得し続けている。グールドに関する映像作品は彼の音楽家としての才能を描いたものが多いが、本作はその才能とともに、グールドを愛した女性たちの証言により、彼の知られざる本質の謎に迫る。いままでグールドについてオフィシャルに語ったことのなかった、グールドのデビュー当時の恋人フランシス・バロー、人妻である画家コーネリア・フォス、ソプラノ歌手ロクソラーナ・ロスラックなどへのインタビュー、未公開の映像や写真、プライベートなホーム・レコーディングや日記の抜粋から、ひとりの人間としてのグレン・グールドの実像に焦点を当てる。(Movie Walkerより)

 いつものように夜7時くらいからスタート。
 お楽しみに。






 1月12日は、村上春樹氏の68回目の誕生日であります。
 今夜のアルック座は、いずれ?ノーベル文学賞を獲るであろうこの世界作家のデビュー作の映画化作品、「風の歌を聴け」。
 
 「小説の世界観がわかっていない」と、ハルキニストからは酷評を浴びておる本作ですが、文章と映像を同一線上で語ること自体、あやしい論議ではあります。
 ただ、本作における成功事例のひとつに挙げてもいいと思うのはキャスティングでしょう。
 「僕」に小林薫、「鼠」に巻上公一。
 これはなかなかナイス配役であります。
   
 映画公開が81年(原作の発表は79年)。
 故に、監督の力量云々とは関係ないところで、過ぎゆく70年代的なものが否応なしに画面に浮流しているわけです。
 それだけで許せてしまうようなところが、店主なんかはありますね。
 たとえば、春樹氏が、そんな時代に国分寺で開いていたジャズ喫茶の店内の様子を想ってみたり。
 それが、映像が及ぼす作用なんでしょう。
 
風の歌を聴け_a0187509_18061457.jpg
 





 あっという間の年の瀬
 今年足を運んだライブをつらつら上げてみますと、4月武道館、テデスキ・トラックス・バンド。同じく4月オーチャードホール、ボブ・ディラン。5月新木場スタジオ・コースト、ニューオーダー。10月国際フォーラム、吉田拓郎。そして今週日曜観てきたばっかりの豊洲PIT、アラバマ・シェイクスといったところ。
 並べてみると、あいかわらず脈絡があるようでない雑多なラインナップでありますが、店主にはどれも心に残るいいライブばかりでありました。
 今年おもしろかったのは、これら生ライブにまさるとも劣らない衝撃を受けた音楽体験が他にもあったこと。
 今夜のアルック座は、店主にそれをもたらしてくれたドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years」であります。

 ビートルズほど音源、映像、書籍その他の膨大なアーカイブが存在するバンドは類い稀でありましょう。
 当然のことながら、熱狂的マニアになればなるほど彼らの目新しい情報に触れる機会はほぼない状況に陥ってる?と思われます。
 ところが本作においては、1963年から始まる15か国90都市166公演に及ぶワールドツアーに焦点をあてたものであるがために、各国に散らばって埋もれていたかなりの数のライブや記者会見の映像の掘り起こし作業が進められ、それらと大半を占めるのですが既知の映像が編集の妙というやつで、史上最強バンドのツアー絵巻として見事に紡がれておるのです。
 硬直、凝視状態の店主。
 田舎の映画館の3本立てビートルズ祭りにおいて、中学生だった店主が「動くビートルズ」を初めて目にした大興奮が感涙とともに蘇ったのは言うまでもないのですが、モニターなしで慣行された世界初の野球場コンサートを極めつけに、このツアーの実像が演る方も観る方も予想がつかない無謀なライブ興行の連続だったということもまた悲しいかな伝わってきます。
 おふざけで演奏のフリと口パクで通したときに誰にも気づかれなかったという逸話が残っているほど、すさまじかった女の子たちの嬌声。
 いつの間にか「見世物」化していた自分たちに演奏のモチベーションも徐々に低下していき、1966年8月29日のサンフランシスコ、キャンドルスティック・パークでの公演を最後に彼らが観客の前に立つことは二度とありませんでした。

 「この映画の狙いの1つは、ビートルズのライブを生で観るチャンスに恵まれなかった世代に、それがどのようなものだったかを伝えることだ。(公式パンフレットより)」
 まさしく、音も映像もリマスタリングされて磨き上げられたた大画面上のライブシーンは、映画という媒体を通して観ていることをつい忘れてしまうほど瑞々しく艶やかに迫ってまいります。
 音楽史におけるビートルズへの最高評価が定まってずいぶん久しいと思いますが、振り返ってみれば、コンサートツアーの中止以降に「レコーディングバンド」として生み出した傑作アルバムがどれも鮮烈すぎて、ともすれば「ライブバンド」であった頃のビートルズの印象の方はというと、古めかしいモノクローム映像の世界に置き去りにされたままになっていたのかもしれません。
 「俺たちの最高傑作は結局レコーディングされずに終わってしまった。ストレートなロックをプレイしていた頃の俺たちの生み出すサウンドは本当に素晴らしかった。イギリスじゃあ、誰も俺たちに及ばなかった。」
 渋谷陽一さんがラジオで紹介していたライブ活動をしていた頃のビートルズを評したジョン・レノンの言葉です。
 とにかく生きがよくて、パンキーで、ときにはかなり黒っぽい音を出していた「凄腕ライブバンド、ザ・ビートルズ」を2016年の今、最高のかたちで呼び覚ましてくれた「EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years」。
 ジョンがもし生きていてこの映画を観たら少しは溜飲を下げられたのかもしれません。

 いつものように夜7時くらいからスタート。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「アリスの恋」。
 42年前の本日1974年12月9日(米)に公開されました。

娘時代には歌手を目指したアリスも、すでに35歳。粗野な夫に頼りきり、こましゃくれた小学生の息子トミーと平凡な生活を送っている。しかし、夫の事故死をきっかけに、アリスは再び歌手を目指すことを決心し、トミーを連れて故郷モンタレーを目指し旅立った。

オンボロ車での長距離移動ではたちまち金が底をつき、途中の町で職を探すアリス。歌手と名乗ってバーを回るが働き口は見つからない。ようやく雇われたバーで言い寄る男とすぐに懇意になるアリス。だが、この男はドメスティック・バイオレンスで妻をいたぶる危険人物だった。

トミーと共に町から逃げ出し、男に頼る自分の性格を反省するアリス。次に立ち寄った町ではウエイトレスの仕事しか見つからなかった。店の常連で離婚歴のある牧場主デヴィッドはアリスに好意を抱き、息子のトミーにも優しく接してくれた。しかし、男には頼るまいと心に決めたアリスはなかなかデヴィッドと打ち解けられない。(ウィキペディアより)


 店主がまだ田舎にいた高校生の頃、「アリスの恋」の吹替え版録画を何度も繰り返し視ていた記憶があります。

 本作のどこが、青臭い高校生の拙い琴線に触れたのかよく覚えておりませんが、店主にとっては思入れのある映画であるのは間違いないのです。

 

 アルック座で観直すにあたって、本作が公開された時代背景を少々探ってみますと、1960年代後半から米国で巻き起こった「男女は社会的には対等・平等であって、性別による差別や区別の壁を取り払うべきだ」というウーマン・リブ運動がキーワードとして浮き上がってきます。

 映画の公開が1974年。その後1979年になって国連総会で女子差別撤廃条約が採択されます。(ちなみに日本では、1970年に第一回ウーマンリブ大会が開催。1974年に男女雇用機会均等法制定。)ヒラリー・クリントンが先の大統領選で、その椅子にあと一歩のところまで迫ったのも記憶に新しいですが、本作が「女性の自立を描いた女性のための映画」の先駆けといわれる所以もこうした時代の流れがあったからであります。

  

 ともあれ「アリスの恋」は、号泣必須の感動作といういうものではないのですが、人が心の底で日常に求める温もりのようなものを再認識させてくれる作品に仕上がってると思います。

 監督は、今や名匠の域のマーティン・スコセッシ。当時「タクシー・ドライバー」を撮る前の32歳の新鋭でした。 

 シンプルなストーリーながら、ジョン・カサヴェテスを意識したという俳優陣から解放された演技を引き出すその演出は、人として及第点はもらえそうもない登場人物たちの愛さざるを得ない「生」を浮き立たせております。

 アリスと生意気盛りのその息子トミーとの会話のやりとり、ようやく職につけた戦場のようなレストランで繰り広げられる先輩ウエイトレスたちや店主との言葉の攻防戦は見ものです。


 さて、アリスは今度こそ自立した女として生きていくきっかけを掴めたのでしょうか?

 それは本作を観てのご判断を。

 ちなみにですが、アリス・ハイアットを演じたエレン・バースティンは本作で見事アカデミー主演女優賞を射止めました。


 いつものように夜7時くらいからスタート。

 お楽しみに。


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