カテゴリ:金曜アルック座( 74 )

 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ラウンド・ミッドナイト」。
 30年前の1986年9月24日公開(フランス)されました。
 

パリを舞台に、ジャズ・ミュージシャンのデイル・ターナーと、デイルの音楽を愛しサポートする青年フランシスの友情を描く。実在のジャズ・ピアニスト、バド・パウエルがパリで活動していた時期の実話が元になっており、フランシスのモデルも実在のフランス人デザイナー。(ウィキペディアより)

 
 主役のデイルを演じたのは、当時63歳になるジャズサックス奏者、デクスター・ゴードン。
 本作を初めて観た後、とにかく驚きを禁じ得なかったのは、出演ジャズメンの演技達者ぶり。映画初出演でアカデミー主演男優賞にノミネートされたD・ゴードンはもちろん、エディ役のハービー・ハンコックなんかも実にそつがありません。
 刻々と変化する刹那に音をやり取りして音楽創造するジャズミュージシャンたちの感性は、「演じる」ことにも直感的な才を発揮するのでしょうね。

 
 でも、監督ベルトラン・タヴェルニエが、D・ゴードンを起用した理由はそれだけではないはずです。
 本作は、バド・パウエルの実際のエピソードを下敷きにしているわけですが、ドラッグ&アルコール依存症に悩まされ、本国アメリカにおけるいわゆるジャズ不況もあって、60年代初頭に新しい環境を求めて渡欧したのは、D・ゴードンもまた同様でありました。至極当然主人公デイルが、彼自身に重なってみえてきてしまいます。
 彼の代表作「アワ・マン・イン・パリ」は、1963年にタイトル通りパリで録音されたものですが、因縁めいてるのは、ピアノで共演しているのがB・パウエルその人ですし、D・ゴードンという人物は、当時のパリの空気感、渡欧組ジャズメンの人間関係をよく知る正に生き証人だったといえましょう。
 多分に、彼という存在がなければ、本作の成立はなかったかもしれません。

 出演から4年後、D・ゴードンは、敬愛する先人たち、互いに刺激し合った同僚プレイヤーたちが待つ天上のステージへと旅立ちました。 

 舞台は1959年のパリ、音楽はジャズ、ジャズ、そしてジャズ。
 愛すべき「ノッポさん」デクスター・ゴードンの枯れた名演技、そして言わずもがなの名演奏にゆたっり浸ってください。

 いつものように、夜7時くらいからスタートです。
 お楽しみに。

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 店主の好きな映画を、その映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞して、当時の季節感もろとも味わってしまおうというお馴染み企画、金曜アルック座。
 ところが、先週に続いて今週もそのルールに当てはまる映画が見当たりません。
 そこで今回も音楽ドキュメンタリー映画をセレクト。傑作「ラスト・ワルツ」です。

 60年にロニー・ホーキンスのバック・バンドとして活動を始めた“ザ・バンド”が、76年11月25日、彼らが初公演を開いた場所、サンフランシスコのウィンターランドで解散コンサートを行った。これはそのドキュメンタリー・フィルムなのだが、監督が曲者スコセッシ(「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」や「エルビス・オン・ツアー」のカッターだった)だけあって、完全な彼のコントロールの下で、当代一流のカメラマンを配して、一つの映像作品として独立した内容を持っている(何しろ300ページもの詳細な台本通りに運ばれたライヴなのだ。もちろん事前の入念なリハーサル付きで!)。実際は6時間に及んだ公演内容のハイライトを紡いで、スコセッシ自身による、これまた挑発的なインタヴューがその間隙を埋め、ちょっと窮屈なくらいよく練られた一篇。B・ディランを初め、N・ヤング、J・ミッチェル、M・ウォーターズ……アメリカン・ロックファンには垂涎のメンバーがいずれも素晴らしい演奏を披露する。哀愁たっぷりの“ラスト・ワルツ”のテーマも胸に切々と沁み、激動の60年代への挽歌と呼ばれる由縁である。But,R&R Can Never Die (allcinema 解説より抜粋).

 ザ・バンドと彼らゆかりのミュージシャンたちによる演奏シーンが本作の最大の見どころであるのは言うまでもありませんが、この解散コンサート本編に入る前の、つまりはカメラが回される前の宴のプロローグが実に興味深いのであります。
 このコンサートはなんとディナー付きでした。
 当日11月25日は感謝祭ということで、メインは七面鳥でしたが、ぺスキタリアンのためにサーモンまで用意してある徹底ぶり。アリーナはテーブルセッティングで、二階席はヴュッフェ形式。
 そして、開演1時間前にはワルツ・タイムが。
 演奏はフルオーケストラ。プロダンサーたちのデモンストレーションに続いて観客も参加して楽しんだといいます。
 そうして、テーブルが撤去され、紙吹雪が舞い落ちてきて、いよいよ開幕...。

 ロックコンサートでありながら、なんと優雅な幕開けでしょうか。
 ザ・バンドのフィナーレにふさわしい極上の演出であります
 コンサートの全体像に思いをはせて本編を観ますと、タイトルの「ラスト・ワルツ」が考え抜かれた言葉選びだったと納得してしまいます。

 いつものように夜7時位からスタート。
 お楽しみに。

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 店主の好きな映画を、その映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞して、当時の季節感もろとも味わってしまおうというお馴染み企画、金曜アルック座。
 ところが、今週はそのルールに当てはまる映画が見当たりません。
 そこで今回は趣向を変えて、音楽ドキュメンタリー「バックコーラスの歌姫(ディーバ)たち」を。

 マイケル・ジャクソンミック・ジャガーブルース・スプリングスティーンスティーヴィー・ワンダースティングなどの音楽界のトップスターを影で支えてきたバックシンガー。しかし、数々のヒット・ソング で記憶に残るハーモニーを訊かせてきた彼女たちの名前が知られることはほとんどない。トップシンガー達と変わらないほどの実力を持ち、いつかはステージのメインに立とうと夢見るバックシンガー。バックシンガーに誇りを持ち、今でも一線で活躍するもの。音楽業界に利用され、夢を打ち砕かれたもの。運に恵まれたもの、そうでなかったもの。これまでスターの影に隠れていた彼女達に初めてスポットライトを当てた本作は、傷つけられても、歌うことに喜びを見出し、音楽を愛し続けた名もなき歌姫たちの人生を描く。(ウィキペディアより)

 スターシンガーの後方でステージを盛り上げる女性バックシンガー。
 同じステージに立てるということは、歌い手的資質は同等であるという意味合いにはなれど、世間からの注目度には雲泥の開きが。
 原題の「20 Feet from Stardom」にある両者の立ち位置20フィート(約6メートル)の距離は、すなわち、トップシンガーになれたものと、なれなかったものの差。
 本作は、それでも彼女たちをステージの向かわせるモチベーションの源泉を探った記録であります。
 彼女たち自身から語られる言葉はもちろん、トップスターのバックシンガーに対する思い入れたっぷりの証言インタビューも興味深いものがあります。

 いつものように夜7時からスタート。
 お楽しみに。

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 店主の好きな映画を、その映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞して、当時の季節感もろとも味わってしまおうというお馴染み企画、金曜アルック座。
 ところが、今週はそのルールに当てはまる映画が見当たりません。
 そこで今回は趣向を変えて、音楽ドキュメンタリー「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」を。
 季節は野外フェスのシーズン目前となりました。
 そんな現在に至る大規模フェスの先駆けであり、60年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する事件ともいえる47年前の伝説のコンサートに思いを馳せてみるとしましょう。

 
1969年8月15日から3日間、ニューヨーク郊外ベセルの丘で、ロックの人気アーチスト多数が出演して、愛と平和と音楽の祭典が開かれた。これが世界の注目を浴びたウッドストック・フェスティバルである。企画者は、当時24歳の大富豪の御曹司ジョン・ロバーツ。彼はこの企画に10億円の私財を投げ出した。開催当日、ウッドストックに集まった若者は、予想を大幅に上回って40万人。この群集の混乱をさけるため、ロックのアイドルたちは、次々とヘリコプターで会場に運ばれた。彼らは叫ぶがごとく、泣くがごとく、昼夜ぶっ通しで歌い、演奏をつづけた。死者3人、病人5千人、出産2件を記録しながらも、アーチストと観衆が真の意味でひとつにつながりながら、ともに歌い、ともに踊った。若者たちの多くは、身につけている衣服を次々と脱ぎ、ある者は全裸になって、自然の大きな抱擁に身をまかせていた。現代の若者たちを縛りつける、あらゆる慣習、偏見はそこにはなかった。あるのは平和と音楽と、かけがえのない愛の姿であった。おりからの風雨の中でも、泥と食料難の3日間、若者たちは、歌から芽ばえた連隊感をもって、平和を謳歌した。それは体制内に出現した輝ける自治体であった...(KINENOTOより抜粋)


 店主もそうでしたが、名前にあるとおりこのコンサートは、ずばりウッドストックという街で開かれたものだと思われてる方が大半だと思います。
 主催者サイドも、古くから画家が集うアート・コロニーとして知られ、ボブ・ディランらアーティストたちも住んでいたこの地での開催を当然目論んでいたのですが、ピッピ―に占拠されるのではという過剰反応を示す周辺住民の反対運動に計画変更を余儀なくされ、もとの開催地の名前を残したまま、隣り街のベゼル(ニューヨーク市の北西120キロ)で開催される運びになったのでした。

 ウッドストックの翌年には、この世を去ることになるジャニス・ジョプリンや、ジミ・ヘンドリックス。そして今や、その後に天に召された参加ミュージシャンがずいぶん多くなってしまいました。
 しかしながら、彼らのプレイはもちろん、カウンター・カルチャーと結びついて新しいパワーをたはらみ始めたロックの目撃者となった聴衆が放つ熱量たるや今だ本作画面の端々に満ちております。

 ちなみにこの作品、編集に若き日のマーティン・スコセッシもクレジットされていて、第43回アカデミー賞において長編ドキュメンタリー映画賞を受賞しております。

 いつものように夜7時位からスタート。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「C階段」。
 33年前の6月6日に公開されました。

 ...パリのありふれたアパルトマンの“C階段”を舞台に、そこに住むスノッブで皮肉屋の美術評論家を主人公にすえて、彼がふれ合う人々の暮らしや、他人との軋轢の中で人間的に成熟していくさまを描く...(allcinemaより抜粋)

 フランス映画らしい小品。
 フランス映画らしさって、もちろん一義的ではありませんが、およそ修復不可能なくらい事件が続出しながら最終的にハッピーエンドに納まる典型的アメリカ映画のことを、故安西水丸さんは「アメリカばなし」とよばれておりましたが、くらべて、本作のように、大事態はほぼ起こらず、淡々とした語り口で綴られるというのはフランス映画にみられる一面といってもいいでしょう。

 「アメリカばなし」に馴染まれてる方には、「退屈な映画」と烙印を押されてしまう危険性もありますが、監督や脚本家、カメラマンの美学が色濃く反映された作品に流れる首尾一貫したある種のムードは、それが好みのものであった場合、たまらない深みとして感じられるのもまたフランス映画の「らしさ」であります。

 さて、若き頃より、シネフィル(映画狂)だった本作監督ジャン=シャルル・タルケは、19歳で映画批評誌「レクラン・フランセ」に入社します。
 この雑誌には、印象派の巨匠ルノワールの次男であり、映画監督であったジャン・ルノワールが協力者として名を連ねておりました。
 彼とタルケ監督に親交があったかどうかは定かではありませんが、本作には、主人公フォステルの心情に影響する小道具として、ルノワール作「じょうろを持つ少女」が使われています。本作でも印象に残るシーンのひとつが、パリ市内の美術館でフォステルがこの画に魅入られるところです。
 
 ところが、「じょうろを持つ少女」は、実際はアメリカのワシントンナショナルギャラリーの所蔵作品です。
 当然、パリにも他に、ルノワールの代表作はわんさかありますが、タルケ監督は架空の美術館を敢えて設定したということになります。
 主人公が目にすべき作品は、この「少女」でなければならなかった理由は、本作をご覧になって推論してみてください。

 いつものように、午後7時ごろからスタートいたします。
 お楽しみに。

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 ピエール・オーギュスト・ルノワール 「じょうろをもつ少女」 
 1876年 油彩、カンヴァス 100.0x73.0cm 
 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵




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 5月18日は、ジョイ・ディヴィジョンのボーカリストであり、作詩を担当していた、イアン・カーティスの36回目の命日でした。
 27クラブ(ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンをはじめ、27歳で他界したミュージシャンたちを指します)の入会資格にまだまだ満たない23歳という若さでの自死。
 悪化する癲癇の発作や、愛人絡みの色恋沙汰による心身の疲弊が引き金になったとされてます。
 それは、ポスト・パンクを牽引するバンドのフロントマンとして注目度もうなぎ登りの最中のことであり、成功が見込まれた初全米ツアーへ旅立つはずだった前日のことでありました。

 たとえば、前出のジム・モリソンを失ったドアーズはその後も活動を続けましたが、かつての輝きを取り戻すことなく、表舞台から消えていきました。
 さて、同じようにカリスマを失ったジョイ・ディヴィジョンのメンバーたちはというと、「ニュー・オーダー」となり、皮肉にも、イアンが亡くなった月曜日のことを歌った「Blue Monday」がヒットチャートを駆け上がり、これ以降、モンスターバンドへと飛躍することになります。

 イアンの命日から一週間後、先々日行われたニュー・オーダーのライブのアンコールでは「 Love Will Tear Us Apart」(ジョイ・ディヴィジョンのナンバー。ある意味セルフカバーともいえますね。)が演奏されました。
 追悼の意もあったのでしょう。ステージ後方のスクリーンにはイアンのポートレートが映し出されておりました。

 今夜のアルック座は、ジョイ・ディヴィジョン、そしてニュー・オーダーが所属していた、世界一メジャーな?インディ・レーベル、ファクトリー・レコードの成功と破綻を描いた嘘のような本当の物語、「24アワー・パーティ・ピープル」です。

 1976年6月4日、不況の嵐が吹き荒れるマンチェスターのレッサー・フリー・トレイド・ホールで行われたセックス・ピストルズのライヴ。観客は42人、その中には後にシンプリー・レッドを結成するミック・ハックネル、後にジョイ・ディヴィジョンとなるワルシャワのメンバー、後にバズ・コックスのメンバーとなるハワード・ディヴォード、後にザ・スミスのメンバーとなるモリッシー、ニュース・キャスターであり後にファクトリー・レコードを創設するトニー・ウィルソンがいた。
 物語はウィルソンと4人の若者によるサクセス・ストーリー。俳優のアラン・イラズマス、マネージャーのロブ・グレイトン、プロデュ−サーのマーティン・ハネット、そして後にニュー・オーダーなどファクトリー所属アーティストのアルバムジャケットなどを手掛けるようになるピーター・サヴィル。そしてウィルソンが創設したファクトリー・レコードから生まれた音楽、そのファクトリーが手掛けた大型クラブ「ハシエンダ」がひとつのムーヴメント、時代、伝説を築き上げていくが...。(ウィキペディアより)

 ところで、ファクトリー・レコード創設者のトニー・ウィルソンをはじめ、マンチェスターを音楽シーンの最重要都市へと変貌させる立役者たちが集った伝説のピストルズのギグに、実はイアン・カーティスは遭遇していません。(正確には、同年7月20日に行われた2回目のギグは観ているとのこと)
 そういった意味で、転んでもただでは起きない破天荒で夢多き「ファクトリー・ファミリー」の男たちと、内面世界に深く没して孤独に打ち震える詩を綴ったイアン・カーティスとは、当初からどこか運命のずれがあったのかもしれません。


 いつものように夜7時からスタート。

 お楽しみに。

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 30年前の1985年。
 世界中を熱狂させたあるシリーズの第一作目が公開されました。
 それが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。
 その後待ち焦がれた続編が1989年に、同時進行で撮影されたという続々編も間髪入れず1990年に公開されて、「バック・トゥ・ザ・フューチャー・トリロジー」と謳われる三部作が完結しました。

 ところで一作目では、1985年の現在から30年前の、ベトナム戦争を知らないアメリカの古き良き時代、1955年へのタイムトラベルがノスタルジックに描かれておりましたが、ニ作目のタイムトラベルの行き先を憶えていらっしゃいますでしょうか。
 答えは、舞台年の30年後の未来への旅。そして、今週の水曜日2015年10月21日は、ずばり映画のなかでマーティやドクがデロリアンで1985年からタイムトリップしてきたあの未来の日なのでした。(スクリーンショット参照↓)
 というわけで、今夜のアルック座は、「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅡ」です。
 
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 BTTFファンには、当然2015年という年に特別な思い入れがあるわけで、ネット上では、映画に登場した未来テクノロジーがどれほど実現化されたかの検証が盛んに行われております。
 正確な天気予報、多チャンネルTV、ボイスコントロール、指紋認証、電子マネー、TV会議...。このあたりは、実現、もしくはそこそこ漕ぎつけてる感じでしょうか。
 一方、まるっきりその兆しさえないものは、空飛ぶ車でしょうか。

 そんななか、ナイキがアニバーサリーディ10月21日に待ちに待った発表を。
 マーティが未来ファッションに着替える場面で履いていたナイキ製の自動靴紐調整機能付きスニーカーを、「Nike MAG」という名前で2016年春、オークション販売するというもの。
 作中、最も注目を集めた小道具だったこのスニーカーが現実に発売されるということで、世界的に熾烈な争奪戦必至、庶民には手の届かないお値段になってしまうでしょうが、パーキンソン病研究を支援するマイケル・J・フォックス財団への売上寄付も合わせて発表され、ナイキらしい遊び心溢れた企業理念には拍手であります。

 手に汗握るとは、まさにこのシリーズのためにある形容といってもいいでしょう。
 20世紀最高の冒険活劇の未来編となる本作をどうぞご堪能あれ。
 いつものように夜7時からスタートです。

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 今夜のアルック座は、「24アワー・パーティ・ピープル」。
 2007年8月10日に亡くなったトニー・ウィルソンを主人公にした実話を映画化したものです。
 ところで、このトニー・ウィルソンってどんな人物?
 

不況の嵐が吹き荒れる1976年6月4日、マンチェスターのレッサー・フリー・トレイド・ホールで行われたセックス・ピストルズのライヴ。観客はわずか42人、その中には後にシンプリー・レッドを結成するミック・ハックネル、ジョイ・ディビジョンとなるワルシャワのメンバー、バズ・コックスのメンバーとなるハワード・ディヴォード、ザ・スミスのメンバーとなるモリッシー、ニュース・キャスターでありファクトリー・レコードの創始者トニー・ウィルソンがいた。物語はウィルソンと4人の若者によるサクセス・ストーリー。俳優のアラン・イラズマス、マネージャーのロブ・グレイトン、プロデュ−サーのマーティン・ハネット、そして後にニュー・オーダーなどファクトリー所属アーティストのアルバムジャケットなどを手掛けるようになるピーター・サヴィル。そして、ウィルソンが創設したファクトリー・レコードから生まれた音楽、ファクトリー・レコードが手掛けた大型クラブ「ハシエンダ」がひとつのムーヴメント、時代、伝説を築き上げていく。(ウィキペディアより)


 トニー・ウィルソンは、ファクトリー・レコードのオーナーであり、中心人物であったわけですが、彼のパンク精神に裏打ちされたファクトリーの経営方針は、旧来のレーベル運営の常識からは大きく逸脱したものでありました。
 たとえば、制作活動支援のために、アーティスト側に破格に有利な契約・版権システムを与えたり、作品の芸術性を高めるためだったら製作費に糸目をつけない等々。(結局、この掲げた旗印が仇となって、ファクトリーは倒産の憂目にあうわけですが...) 
 また、リリース作品にカタログ番号を通しで記していく試みも当時画期的で、ユニークなのは、カタログ番号が音楽作品以外にも与えられていたこと。
 FAC 61=マーティン・ハネットがファクトリーに対し起こした訴訟、FAC 136=オリジナルセロハンテープ、FAC 191=ハシエンダにいた猫、FAC 251=ファクトリー本社社屋、FAC 383=ニュー・オーダーの熱狂的ファン集団、等々といった具合であります。(今夜の映画「24アワー・パーティ・ピープル」には、FAC 401が付記!)ちなみに、記念すべきFAC 1は、レーベル所属アーティストが出演するクラブイベント用ポスターに付けられました。当店開業以来、壁を飾る黄色と黒色が印象的な大きなポスターは、このFAC 1のデザインをシルクスクリーンで限定プリントしたものであります。

 昨年、ファクトリー創世記からの所属アーティストであったドゥルッティ・コラム(ギタリスト、ヴィニ・ライリーによる一人プロジェクト)の最新アルバムが発表されました。
 ファクトリーからリリースされたドゥルッティ・コラムの1stアルバムの初回プレス盤ジャケットはなんと紙やすり製!棚から出し入れする度に両隣のアルバムが傷だらけになってしまうという究極の「包装」だったわけです。最新CDは化粧箱入りになっていて、ヴィニが撮影した友人たちのポートレート写真を掲載したブックレットが同梱。さらにヴィニが暮らしていた街の地図のポストカード、ピンバッジ、そしてボーナストラックのダウンロード・コードが印刷された一枚のサンドペーパーが。
 当時からのファンは、1stアルバムへのオマージュであるとピンときたでしょうね。ドラマーとして参加したブルース・ミッチェルが、この最新アルバムにコメントを寄せています。 
 
 『このアルバムの始まりは、友人たちの肖像を音楽で描いた作品群をヴィニが撮影したポートレイト写真と一緒にアルバム化するという企画でした。エルガーやバッハ、ヴィヴァルディといった作曲家たちは友人たちを音楽で描いたロマンチックな作品を残しています。ヴィニ・ライリーなら同じことができるはずだ。私はそう考えたのです。また音楽と写真を一緒にパッケージングしてちょっとした「アート作品」を世に出す良い機会だとも考えました。そうです。結局のところ、私たちは今もトニー・ウィルソンの子供たちなんです。』

 トニー・ウィルソンの墓石は、ファクトリー・レコードのアート・ディレクションを仕切ったデザイナー、ピーター・サヴィルがデザインしたそうです。
 ところで、この墓石には例のファクトリーのカタログ番号は記されていません。ファクトリーの終焉を告げる最後のカタログ番号は、トニーの棺に刻印されたという、FAC 501になったわけです。
 癌との闘病を続けた後、心臓発作で亡くなったトニーの墓誌には「テレビ司会者・カルチャーにおける変化の提起者」、また、墓碑銘には、マンチェスターの作家、イザベラ・ヴァーリー・バンクスの1876年の小説「マンチェスター・マン」からの一文が標されております。

 「変異の可能性こそが世界の墓碑銘となる/変化のみでは変化は変化とはならず/人は人生という歴史から抜け落ちてやがては土の歴史へと埋もれていく/しかしながら、人の業績とその影響は生き続ける」

 「24アワー・パーティ・ピープル」
 夜8時くらいからスタートです。

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 30年前の今日、1985年7月3日。
 世界中を熱狂させたあるシリーズの第一作目が全米公開されました。

 それが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。
 その後待ち焦がれた続編が1989年に、同時進行で撮影されたという続々編も間髪入れず1990年に公開されて、「バック・トゥ・ザ・フューチャー・トリロジー」と謳われる三部作が完結しました。
 というわけで、今夜のアルック座は、30周年を迎えたその第一作目であります。

 ところで一作目では、1985年の現在から30年前の、ベトナム戦争を知らないアメリカの古き良き時代、1955年へのタイムトラベルがノスタルジックに描かれておりましたが、ニ作目のタイムトラベルの行き先を憶えていらっしゃいますでしょうか。
 答えは、舞台年の30年後の未来、2015年へのトリップでした。
 ということは、僕らはBTTFで観た未来を、今現実に迎えてしまったわけです。
 つまり、BTTF的に今年は、ダブルアニバーサリーイヤーということになります。
 
 BTTFファンには、当然2015年という年に特別な思い入れがあるわけで、ネット上では、映画に登場した未来テクノロジーがどれほど実現化されたかの検証が盛んに行われております。
 正確な天気予報、多チャンネルTV、ボイスコントロール、指紋認証、電子マネー、TV会議...。このあたりは、実現、もしくはそこそこ漕ぎつけてる感じでしょうか。
 一方、まるっきりその兆しさえないものは、空飛ぶ車でしょうか。

 そんななか、話題にのぼっているのが、第二作に登場したホバーボードの実現販売ニュース。
 アメリカの会社が開発したこの宙に浮く夢のスケボー、すでに日本発売も決定して、ネットショップでは予約まで始まっております。
 映画のお話でいうと、水上では推進力を失ってしまうというオチがあったのですが、将来的にはこの点までクリアできるというから驚きです。
 マーティが未来ファッションに着替える場面で履いていたナイキ製の自動靴紐調整機能付きスニーカーは、「Nike Air MAG」という名前で年内中の発売を本家ナイキが発表しておりますし アニバーサリーとなる今年、映画にちなんだグッズやイベントが目白押しになるのは間違いなさそうです。

 手に汗握るとは、まさにこのシリーズのためにある形容といってもいいでしょう。
 20世紀最高の冒険活劇の「始まり」となる本作をどうぞご堪能あれ。
 いつものように夜7時からスタートです。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「エンドレスサマー」。
 49年前の6月15日に公開されました。

 ブルース・ブラウン監督による1966年のドキュメンタリー風サーフィン映画の決定版であり、美しくスリルあふれる映像によって世界中の浜辺から若者の自由な姿を描いている。伝説の波を求めて世界中を旅する2人のサーファーの姿を追い、最後には故郷から遠く離れた海岸で見つけるという内容。(アマゾンより

 5万ドルという低予算で撮られたインディーズ映画でありながら、公開されるや、世界中にサーフィンブームを巻き起こし、今だにサーファーズ・バイブルとして評価の高いドキュメンタリーです。
 北半球と南半球を行き来すれば、世界のどこかで必ず夏に行き当たると考えた若者3人。
 こうして、世界中の夏と未知なる波を追い求める途方もない旅に出るわけですが、地球規模の移動となると、当然のことながら、アクセスのいい土地ばかりとは限らなくなります。
 秘境に分け行って海岸を目指すという冒険は茶飯事、沖に向かってサーフライドする珍パフォーマンスが披露される訪問地まであったりして、ハプニングの連続の本作。
 現代なら某地球儀ソフトで、部屋にいながらにしてアドベンチャー気分を味わうことも可能ですが、公開当時はまだまだ無情報時代、まさに究極のサーフ・トリップを疑似体験できる作品として、地元の街、地元の波しか知らないローカルたちが口々に唱え、全米で、世界中で、本作が熱病の如く伝播されていったのは想像に難くありません。

 今夜は、本格的な夏を前に、半世紀前、世界中の夏の陽を追いかけた男たちの話にのんびり付き合うとしましょう。
 いつものように夜7時からスタート。
 お楽しみに。


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