店主、横浜で「ホイッスラー展」を観る。

 先月のことで、会期も3月1日で終了しておりますが、横浜美術館で「ホイッスラー展」を観ました。

 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー。
 とにかく、変わり種であります。
 まずは出生地。アメリカ、マサチューセッツ州です。
 混沌とした19世紀絵画芸術の時代にあって、早くから活躍したアメリカ人画家の先駆といえます。
 そして、その生涯にわたるコスモポリタンぶり。
 少年期を父親の仕事の関係で、ロシアのサンクトペテルブルクで過ごし、その後イギリス各地を変遷、17歳で一旦アメリカに戻りますが、画家を志してパリに渡ったのが21歳のときで、さらに、ロンドンにもアトリエを設えたのが25歳のとき。

 この後、いわゆるクロス・チャンネル(英仏海峡を往来する)の画家として名を知られていくホイッスラーですが、絵画の新潮流を生み出していたイギリスのラファエロ前派やフランスの印象派の画家たちと当然のように親密に呼応しながらも、闊達自在な立ち位置をキープして、どのグループにも属することはありませんでした。
 そんなホイッスラーに転機が訪れます。
 なんと、レアリスムに傾倒していた頃の恩師クールベに恋人を略奪されてしまった失意のホイッスラーは、南米チリの港町バルパライソに移住。
 ここで、南米の明るい陽光に触発され、以前より少ない色数とその濃淡だけで刷られた広重の色使いに心服していた彼は、それらの霊感に突き動かされて、「ノクターン・シリーズ」の制作を始めます。
 制約された環境下、つまりは色数が限定されたがゆえに、広重は色相のグラデーションで浮世絵に豊かな美をもたらしました。
 広重の苦心の業でしたが、ホイッスラーはこの色相の繰り返しを意識的な潔い美と理解したんですね。
 
 遡ること、この数年前から「シンフォニー」、「アレンジメント」といった音楽用語を作品タイトルに添えて、その規律性を絵画制作に持ち込む実験をしていたホイッスラー。「ノクターン・シリーズ」は「絵画における色彩は音楽における秩序だった音のように用いることができる」とした彼の理論の集大成ともいえます。
 結局、絵画スタイル的にもボヘミアンだった?ホイッスラーは、この傷心旅行をきっかけに画家として独自の到達領域に大いに近づくことになったわけです。

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「ノクターン:ソレント」1866年
  ギルクリース美術館蔵








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by arkku | 2015-03-10 03:10 | 雑記