店主、ターナー、ミケランジェロ、酉の市をはしごする。

芸術の秋たけなわという感じになってまいりました。
 本日は、美術館のはしごのメッカ、上野の森へ。
 まずは東京都美術館の「ターナー展」から。去年の暮、Bunkamuraで開催された、今回の大回顧展の予告編のような水彩画展を観て以来楽しみにしていたものです。  
 英国最高の風景画家の60年近い画業を約110点で振り返る本展は、おおよそは時系列ごとに、あるいは、スケッチ旅行で訪れた都市ごとに、10テーマにくくられて構成されておりました。


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 「バス・ロック島」 1824年頃
 水彩、紙 21.9×29.4 cm

 そのうち特別興味深かったのは、「色彩と雰囲気をめぐる実験」と銘打たれたコーナー。
 言ってしまえば、風景画を描く前段階の試し描きなのですが、これは今日われわれがターナー的と認識している、光を拡散させて大気や水面に形象をあいまいに融合させる作風に行き着くための試行錯誤だったといえましょう。
 さらにいえば、拭いたり、こすったり、ひっかいたりして水彩絵の具の可能性を探りつつ、色の組み合わせや配置によって雰囲気を醸し出そうとした大いなる「試し描き」は、現代人からすれば一級のモダンアートに見えなくもない。ターナーが35歳頃から始めた「カラー・ビギニング(色彩のはじまり)」と呼ばれるこれら習作群は、人に観せる意図はなく、ごく私的なものだったといいます。仮に、ターナー自身や当時の評論家の誰かが、これらを新しい絵画の幕開けとして宣言していたら、美術史の様相は随分変わっていたかもしれません。


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 「湖に沈む夕日」 1840-1845年頃
 油彩、カンヴァス 91.1×122.6 cm

 ターナーが上記のような「ターナー的」に変貌を遂げるのは晩年まで待たなければならないのですが、死後発見された油彩の作品群は、タイトルをチラ見しない限り、すべてが霧に包まれたまさに現代抽象画のそれ。ただ、これを未完成とする論者もいます。つまり、船とか建造物を描き込む前の下塗り段階ではなかったのかと。
 真偽のほどはさておき、水彩画での実験を経て、油彩においてさえ、今日われわれを魅了して止まない雰囲気描写の技法を会得したターナーへの評価は微塵も揺るがない論議ではありますが。


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 ターナー観た後は、ミケランジェロも観ちゃおうと、東京都美術館から徒歩5分、国立西洋美術館へ。
 上野が凄いのは、こういうことができちゃうところ。
 で、この「ミケランジェロ展」。フィレンツェのカーサ・ブオナローティ所蔵の門外不出の品、大理石浮き彫りの「階段の聖母」が史上初めて貸し出し展示されるということで大騒ぎになっております。
 もちろん、この「聖母子」も素晴らしいのですが、今回店主が釘づけになってしまったのは、ミケランジェロ本人いわく本業ではないとする画業の方の素描作品。

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 「レダの頭部習作」 
 赤石墨、紙 1530年頃

 絵から連想する画家のイメージって、なんとなくあると思うのですが、たとえば、知的で渋い感じのダ・ヴィンチだったり、ずばりイケメンのラファエロだったり、世間一般納得してそうな画家たちに比べて、今に伝わるミケランジェロのあの厳つい親爺的肖像と、彼の手になる「レダ」や「クレオパトラ」の素描の女性たちの芙蓉の顔(かんばせ)とのギャップの大きいこと、大きいこと。
 あのシスティーナの奇跡の天井画の制作中、ずっと「俺、彫刻家なのに」と文句たらたらだったというエピソードといい、イメージの屈折が激しいミケランジェロですが、そのせいか、このルネサンスの「神のごとき」巨匠の生身の人間臭さが感じられて、とっても親近を覚えてしまう店主なのでした。


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 美術館のはしごの後は、冬の風物詩としてテレビでよく流れる、浅草の「お酉さま」へ。縁起熊手の売り手が三本締めをやってくれるあのお祭りです。
 お参り前にお昼にしようと横丁に入る。で、最初に目についた中華のお店に迷うことなく入店。 
 瓶ビールとサービスのカッパえびせんでしばしまったりしてると、ワンタン麺お目見え。餃子を注文したのが悔やまれるくらい、どばっと投入されたワンタン。東京のラーメンらしいあっさりした出汁で麺1.5玉程もするりと入る。
 一葉桜開運振興会というありがたい名前の商店街にあるこちら「赤のれん」さん、お勧めです。
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 さて、肝心のお参りですが、参道口から通り沿いに左右に伸びた長蛇の列にびびった店主たちは、鷲(おおとり)神社への参拝をあっさりあきらめ、浅草「酉の市」発祥の地とされる長國寺の方へ。こちらは、お払いなしのせいか、ほとんど並ばず、参拝祈願終了。
 長國寺と鷲神社は地続きなので(つまり、ズルできるが、御利益ないばかりか、バチが当たりそうであります。)、せめて帰りは神社の参道を抜けて参ろう。
 万華鏡の如く迫る数えきれないほどの熊手商さん。あちらこちらから商談成立の威勢のいい手締めの音が。嫁パパによれば、口八丁手八丁で値切った分をご祝儀としてお店においてくるのが粋な買い方なんだとか。
 年は上手にとりたいものですな、江戸の情緒をほんのり感じた浅草の午後でした。
 ちなみに店主は、帰宅後、天沼の八幡さまで豆熊手購入。
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by arkku | 2013-11-03 23:23 | 雑記