カテゴリ:金曜アルック座( 65 )

 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ラウンド・ミッドナイト」。
 30年前の1986年9月24日公開(フランス)されました。
 

パリを舞台に、ジャズ・ミュージシャンのデイル・ターナーと、デイルの音楽を愛しサポートする青年フランシスの友情を描く。実在のジャズ・ピアニスト、バド・パウエルがパリで活動していた時期の実話が元になっており、フランシスのモデルも実在のフランス人デザイナー。(ウィキペディアより)

 
 主役のデイルを演じたのは、当時63歳になるジャズサックス奏者、デクスター・ゴードン。
 本作を初めて観た後、とにかく驚きを禁じ得なかったのは、出演ジャズメンの演技達者ぶり。映画初出演でアカデミー主演男優賞にノミネートされたD・ゴードンはもちろん、エディ役のハービー・ハンコックなんかも実にそつがありません。
 刻々と変化する刹那に音をやり取りして音楽創造するジャズミュージシャンたちの感性は、「演じる」ことにも直感的な才を発揮するのでしょうね。

 
 でも、監督ベルトラン・タヴェルニエが、D・ゴードンを起用した理由はそれだけではないはずです。
 本作は、バド・パウエルの実際のエピソードを下敷きにしているわけですが、ドラッグ&アルコール依存症に悩まされ、本国アメリカにおけるいわゆるジャズ不況もあって、60年代初頭に新しい環境を求めて渡欧したのは、D・ゴードンもまた同様でありました。至極当然主人公デイルが、彼自身に重なってみえてきてしまいます。
 彼の代表作「アワ・マン・イン・パリ」は、1963年にタイトル通りパリで録音されたものですが、因縁めいてるのは、ピアノで共演しているのがB・パウエルその人ですし、D・ゴードンという人物は、当時のパリの空気感、渡欧組ジャズメンの人間関係をよく知る正に生き証人だったといえましょう。
 多分に、彼という存在がなければ、本作の成立はなかったかもしれません。

 出演から4年後、D・ゴードンは、敬愛する先人たち、互いに刺激し合った同僚プレイヤーたちが待つ天上のステージへと旅立ちました。 

 舞台は1959年のパリ、音楽はジャズ、ジャズ、そしてジャズ。
 愛すべき「ノッポさん」デクスター・ゴードンの枯れた名演技、そして言わずもがなの名演奏にゆたっり浸ってください。

 いつものように、夜7時くらいからスタートです。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ロスト・イン・トランスレーション」。
 13年前の2003年9月12日に公開されました。

ハリウッド俳優のボブは、ウィスキーのCM撮影のために来日する。慣れない国での孤独感を感じるボブは、東京のホテルに到着した翌朝、エレベーターで若いアメリカ人女性、シャーロットと乗り合わせた。彼女はフォトグラファーの夫の仕事に同行してきた新妻で、やはり孤独と不安に苛まれていた。やがて2人は、ホテルのバー・ラウンジで初めて言葉を交わし、親しくなる。シャーロットの友人のパーティーに誘われ、夜の街へと出掛けたボブは、カタコトの英語を話す若者たちとの会話を楽しみ、カラオケでマイクを握るシャーロットに魅入る。2人は東京に来て初めて開放的な気分を感じた。ボブはCM撮影が終了したが、急遽舞い込んだテレビ出演の話を承諾し、滞在を延ばすことになった。ボブは、シャーロットとランチを共にし、ホテルの部屋で古い映画を観て時を過ごし、絆を深めていった。だがボブの帰国の時が訪れる...。(KINENOTOより抜粋)

 ウィキペディアの請売りですが、ソフィア・コッポラ監督による本作のテーマは「アノミー」だといいます。
 ウィキのリンクで、「アノミー」に跳ぶと、「アノミー(anomie)は、社会の規範が弛緩・崩壊することなどによる、無規範状態や無規則状態を示す言葉。フランスの社会学者エミール・デュルケームが社会学的概念として最初に用いたことで知られる。」とのこと。
 さらなる???のぬかるみに足をとられそうになったので、慌てて、不勉強人にも解かりやすいことばで論じていそうな方のブログにて「アノミー」をお勉強したところ、店主的には「アノミー=人が生きてる限り、本来生じる何かとのつながりや目的が失われた状態」というところに着地いたしました。

 さて、本作中のアメリカ人男女は、二人とも「アノミー状態」で、新宿のホテルで遭遇します。森進一の「新宿・みなと町」?ではありませんが、自ら望んだわけでもなく、なんとなく流れ着いたというわけですね。
 妖しげな賑々しさに彩られた新宿という街にあって、二人が宿泊しているパークハイアット東京は、この上なく快適なコクーンのようであります。
 互いの「アノミー」を悟った二人は、抱えた喪失感を埋めるように、ホテルを出て東京という異国の大都会の冒険にくり出します。
 セレブ御用達の「コクーン」を抜け出すことが、二人に連帯感なりある種の共犯意識を芽生えさせるきっかけになるところがおもしろいのです。
 つまりは、「アノミー」から抜け出す一歩になったわけですね。

 主演の二人は公開当時、ビル・マーレイ53歳、スカーレット・ヨハンソン19歳。
 変化のない結婚生活に萎えてしまった中年俳優と、輝く美しさを湛えながら未来に不安を抱く新妻。
 説得力のあるキャスティングは、「ロスト・イン・トランスレーション」の成功の肝といえましょう。
 店主自身何度も身を置いたはずの馴染みの新宿の雑踏の中を、スカーレット・ヨハンソンが消え入りそうになりながら歩くシーン。
 ただそれだけなのですが、本作全体に流れる漂流感と相まって、何ともいえず心に沁みる映像美があります。

 いつものように夜7時からスタート。
 お楽しみに。

 
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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「めがね」。
 9年前の2007年9月22日に公開されました。

 

人生の一瞬に立ち止まり、たそがれたい。何をするでもなく、どこへ行くでもない。南の海辺に、ひとりプロペラ機から下り立った女・タエコ。その小さな島は不思議なことだらけ。見たこともない不思議な「メルシー体操」なるものに興じる人々、いつもぶらぶらしている高校教師ハルナ、笑顔で皆にカキ氷をふるまうサクラ、飄々と日々の仕事をこなす民宿ハマダの主人・ユージ…。マイペースで奇妙な人々に振り回され、一度はハマダを出ようとするが、自分なりに「たそがれる」術を身につけていくタエコ。そして、タエコを追ってきたヨモギを含めた5人の間には奇妙な連帯感が生まれていく。しかし、その時間は永遠には続かない……。(ウィキペディアより)


 「かもめ食堂」に続いて荻上監督が撮った劇場4作目。
 登場人物のキャリアは語られることはなく、結果的に素性の知れない奇妙な人物ばっかり集まってきてしまうのは前作同様で、例によって劇的展開も皆無。
 ただ、北欧の街から奄美の島に舞台を移したせいでしょうか、全編に流れる「ゆるゆる」加減はこの上ないくらいパワーアップしております。
 鑑賞者は、もはやストーリーを追いかけることを放棄せざるを得なくなり、「めがね」という映像の海原にクラゲの如くゆらゆらと感覚を委ねるしか術がなくなってしまうわけです。
 本作の「ゆるゆる」感はそれくらいの破壊力を秘めていると思います。
 必然的に、クラゲ式で観るのが一番心地よいし、このヒーリングムービー?の醍醐味が味わえるのでは。

 極力説明を省いた演出を施す監督さんですが、登場する主人公タエコの心情変化はうまい小道具使いで語られています。
 それは、タエコが島まで引きずってきた重そうなスーツケースと、おそらくすっかり彼女を疲れさせてしまった日常のすべてを見せていた眼鏡。
 この小道具たちの顛末にごぜひ注目を。

 登場人物たちのビールを呑むシーンがやたら多い映画でもあります。
 それも、一貫して瓶ビールをジョッキで。
 彼らが宿やビーチであおるビールはなんともおいしそう。
 当店、地域や製法でビヤグラを使い分けておりますが、店主がこだわるサッポロ赤星だけは小ぶりのジョッキで提供しております。
 この映画の残像がそうさせているのでしょうね。

 いつものように午後7時くらいからゆるくスタート。
 おたのしみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「フランシス・ハ」。
 4年前の2012年9月1日に公開されました。
 
 本作のタイトルを見て、「店主のキーボード操作ミス?」と思ってしまう人も多いと思います。
 かく言う店主自身も、雑誌のレビューで最初に目にした時はミスプリントだと早合点してしまいました。
 原題はずばり"Frances Ha"ですから、英語圏の人たちにとっても、へんちくりんなタイトルに違いはありません。

 
ニューヨークに暮らすフランシスは、プロのダンサーを目指している。彼女と同居していた親友のソフィーは、パッチとの婚約を機に、フランシスを置いて引っ越して行く。残されたフランシスは、故郷のサクラメントで両親と過ごすクリスマス、パリへの短期旅行を経て、ニューヨークに戻ってくる。自分の人生と向き合った彼女は、振付師として、人生の新たな一歩を踏み出す。


 年明け1月、ボウイの訃報を聞いたとき、彼の"Modern Love"がドはまりしているこの映画ことが思い起こされました。
 日本人的に直訳すると、「現代的な愛」。
 言わずと知れた、83年に発売されたボウイいわく「ホットケーキみたいに売れに売れた」アルバム"Let's Dance"からのシングルナンバーであります。
 ここで、ハタと考えました。 
 確かにこの曲が流れるなか、フランシスがNYの街を激走するシーンはこの上なく小気味よい。
 ただ、インディペンデント映画界のミューズ、グレタ・ガーウィグ主演・兼脚本の本作であるならば、ノリのよさだけでもってヒットソングを使ったりはしないだろう…。
 ネット検索してみたところ、はたして様々に同曲の訳詞に挑んでいる方々がいらっしゃる。
 一番しっくりきたものを店主なりに意訳してみると、こんな感じでしょうか。


新聞配達の少年を呼び止める
そんな事をしても物事は変わりはしない
風に吹かれて立ちつくすわたし
でも決してバイバイって手を振ったりしない

やってやる、わたしはやってやる

生きてる証しなんかない
人を魅了する力ならあるけど
雨に打たれて横たわるわたし
でも決してバイバイって手を振ったりしない

やってやる、わたしはやってやる

もうモダンラブに入れ込んだりしない

モダンラヴ、ときには寄り添い歩き 
モダンラブ、ときには目の前を通り過ぎていく
モダンラブ、いつも通りに教会へと連れてゆく

いつも通りに教会へ、わたしを怖れさせて
いつも通りに教会へ、わたしを高揚させて
いつも通りに教会へ、神と人との契約を押し付ける

神と人、懺悔もいらない
神と人、信仰もいらない
神と人、モダンラヴなんか信じちゃいけない


 
 驚きです。
 ボウイは、ヒット請負人ナイル・ロジャースがお膳立てした売れ線の音に、彼らしくこんな難解なことばをのせていたのであります。
 少なくとも、タイトルから直感しがちな軽薄なポップ・チューンではないのは明らか。
 では、「モダンラブ」とは何でしょう。
 どうやら、現代社会における信仰に代表されるような、盲目的規範全般を指していようであります。

 モダンダンサー志望のフランシス。
 それが叶わぬ夢になりそうなのは、彼女のぶっきっちょさ加減からしたら誰が見ても明らか。
 歩き方ひとつとっても、「ノシノシ歩き」と揶揄される始末。
 前向きというよりは、前のめりで闇雲な行動パターンがお決まり。
 でも、ぎりぎりのところで「自分」を見失わないのがこの愛すべき主人公、フランシスの大いなる強味であります。

 奇妙なタイトルの種明かしはラストシーンにしっかり用意されているのですが、同時に彼女の未来を予見させる仕掛けにもなっております。
 エンドロールで再び流れる"Modern Love"。
 訳詞を踏まえてみると、世の中にはびこる既成概念や体制への追従姿勢を否定的に歌っているとわかるこの曲がテーマに選ばれた理由も、ここにきて合点がいくと思うのですが。
 
 いつものように夜7時からスタート。
 お楽しみに。
 
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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「アメリカン・グラフィティ」。
 43年前の1973年8月11日に公開されました。

1962年、カリフォルニア北部の小さな田舎町。ハイスクールを卒業し大学のある東部への出発を明朝に控えた、スティーヴとカートは故郷での最後の夜を楽しく過ごそうと、テリーとビッグ・ジョンを誘い町に繰り出す。暴走族の仲間に入らされたり、酒を買おうと四苦八苦したり、マセた女の子にせまられたりという数々のエピソードが、当時のヒット・ナンバーに乗せて軽やかに描かれるが、やがてそれぞれの決意を秘めた朝がやって来る……。(allcinemaより抜粋)

 その時代のヒット曲を散りばめて青春群像を描くという手法は、今では珍しくありませんせんが、本作公開当時は画期的な演出であり、現在に至るまで多くのフォロワームービーが制作されたわけですが、この一夜もののバイブル「アメグラ」を凌駕する作品は未だ見当たりません。
 しかも挿入曲は、実在した伝説的DJ、ウルフマン・ジャック(本人役で出演)の名調子とともに、登場人物たちが運転する車のカーラジオから流れてくる設定がとられているので、たとえば、車内から街中に移動するカメラワークとともに、曲の聞こえ方もそれに連れて変化します。
 この音響泣かせの凝った演出のおかげで、観客は知らず知らずのうちにこの一夜の物語に自分も足を踏み入れたような感覚に陥いるわけであります。

 古き良き時代のアメリカ文化を垣間見るという意味でも、この映画は、ビデオを駆使して隅から隅まで舐めるように観た記憶があります。
 国も時節もまったく無関係なのに、いつの間にやらこの映画を観ると、ある種のノスタルジーがよみがえってくるまでになってしまいまして。
 
 ちなみに、主要キャストの一人で町一番の走り屋、ジョン・ミルナーは白の半袖ヘインズを着ているのですが、キャメルの煙草を袖先にくるりと巻き込んで携帯しております。
 店主もそうでしたが、へインズにキャメルをずばりまねた人も相当数いたでしょうね。

 いつものように夜7時からスタート。
 お楽しみに。

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 店主の好きな映画を、その映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞して、当時の季節感もろとも味わってしまおうというお馴染み企画、金曜アルック座。
 ところが、先週に続いて今週もそのルールに当てはまる映画が見当たりません。
 そこで今回も音楽ドキュメンタリー映画をセレクト。傑作「ラスト・ワルツ」です。

 60年にロニー・ホーキンスのバック・バンドとして活動を始めた“ザ・バンド”が、76年11月25日、彼らが初公演を開いた場所、サンフランシスコのウィンターランドで解散コンサートを行った。これはそのドキュメンタリー・フィルムなのだが、監督が曲者スコセッシ(「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」や「エルビス・オン・ツアー」のカッターだった)だけあって、完全な彼のコントロールの下で、当代一流のカメラマンを配して、一つの映像作品として独立した内容を持っている(何しろ300ページもの詳細な台本通りに運ばれたライヴなのだ。もちろん事前の入念なリハーサル付きで!)。実際は6時間に及んだ公演内容のハイライトを紡いで、スコセッシ自身による、これまた挑発的なインタヴューがその間隙を埋め、ちょっと窮屈なくらいよく練られた一篇。B・ディランを初め、N・ヤング、J・ミッチェル、M・ウォーターズ……アメリカン・ロックファンには垂涎のメンバーがいずれも素晴らしい演奏を披露する。哀愁たっぷりの“ラスト・ワルツ”のテーマも胸に切々と沁み、激動の60年代への挽歌と呼ばれる由縁である。But,R&R Can Never Die (allcinema 解説より抜粋).

 ザ・バンドと彼らゆかりのミュージシャンたちによる演奏シーンが本作の最大の見どころであるのは言うまでもありませんが、この解散コンサート本編に入る前の、つまりはカメラが回される前の宴のプロローグが実に興味深いのであります。
 このコンサートはなんとディナー付きでした。
 当日11月25日は感謝祭ということで、メインは七面鳥でしたが、ぺスキタリアンのためにサーモンまで用意してある徹底ぶり。アリーナはテーブルセッティングで、二階席はヴュッフェ形式。
 そして、開演1時間前にはワルツ・タイムが。
 演奏はフルオーケストラ。プロダンサーたちのデモンストレーションに続いて観客も参加して楽しんだといいます。
 そうして、テーブルが撤去され、紙吹雪が舞い落ちてきて、いよいよ開幕...。

 ロックコンサートでありながら、なんと優雅な幕開けでしょうか。
 ザ・バンドのフィナーレにふさわしい極上の演出であります
 コンサートの全体像に思いをはせて本編を観ますと、タイトルの「ラスト・ワルツ」が考え抜かれた言葉選びだったと納得してしまいます。

 いつものように夜7時位からスタート。
 お楽しみに。

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 店主の好きな映画を、その映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞して、当時の季節感もろとも味わってしまおうというお馴染み企画、金曜アルック座。
 ところが、今週はそのルールに当てはまる映画が見当たりません。
 そこで今回は趣向を変えて、音楽ドキュメンタリー「バックコーラスの歌姫(ディーバ)たち」を。

 マイケル・ジャクソンミック・ジャガーブルース・スプリングスティーンスティーヴィー・ワンダースティングなどの音楽界のトップスターを影で支えてきたバックシンガー。しかし、数々のヒット・ソング で記憶に残るハーモニーを訊かせてきた彼女たちの名前が知られることはほとんどない。トップシンガー達と変わらないほどの実力を持ち、いつかはステージのメインに立とうと夢見るバックシンガー。バックシンガーに誇りを持ち、今でも一線で活躍するもの。音楽業界に利用され、夢を打ち砕かれたもの。運に恵まれたもの、そうでなかったもの。これまでスターの影に隠れていた彼女達に初めてスポットライトを当てた本作は、傷つけられても、歌うことに喜びを見出し、音楽を愛し続けた名もなき歌姫たちの人生を描く。(ウィキペディアより)

 スターシンガーの後方でステージを盛り上げる女性バックシンガー。
 同じステージに立てるということは、歌い手的資質は同等であるという意味合いにはなれど、世間からの注目度には雲泥の開きが。
 原題の「20 Feet from Stardom」にある両者の立ち位置20フィート(約6メートル)の距離は、すなわち、トップシンガーになれたものと、なれなかったものの差。
 本作は、それでも彼女たちをステージの向かわせるモチベーションの源泉を探った記録であります。
 彼女たち自身から語られる言葉はもちろん、トップスターのバックシンガーに対する思い入れたっぷりの証言インタビューも興味深いものがあります。

 いつものように夜7時からスタート。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「エル・ブリの秘密」。
 5年前の2011年7月27日に公開されました。

 アルック座では珍しくドキュメンタリー作品であります。

 2011年に惜しまれつつ閉店したスペインの三ツ星レストラン「エル・ブリ」の裏側に迫ったドキュメンタリー。1年のうち半年しか営業せず、お客は1日50人のみという世界一予約の取れないレストラン「エル・ブリ」のバックヤードに密着する。(DMM.comより)

 エル・ブリの存在を知ったのは、何かの雑誌記事だったと思います。
 裏憶えですが、エスプーマを利用した泡状ムースと貝殻をあしらったロマンティックな一皿が誌面を大きく飾っておりました。
 ガスを使ってあらゆる食材をあわあわにできるこのエスプーマ調理法にも驚きましたが、お皿と一緒にサーブされるというiPodにはぶっ飛びました。ゲストはイヤホンから流れる波の音に海の記憶を呼び起されつつ料理を食するという趣向。
 アイディアの使いまわしは行わないポリシーですから、この「iPod添え」もこれっきりだったのでしょうが、以来このレストランの妖しさ?はしっかり脳裏に刻み込まれ、2009年に撮影された本作で惜しげもなく明かされる「世界一のレストランの秘密」には、終始口あんぐり。
 100年後の食のトレンドを覗いているようなショック症状に見舞われたといったら大げさでしょうか。

 ここに、エル・ブリにまつわる数字を並べてみました。

 
 15
 - 一日のテーブル数
 50 - 一日のゲスト数
 160 - 営業日数
 8,000 - 年間のゲスト数
 7-20,000 - エル・ブリで食事をするためにゲストが旅するキロメートル数
 70 - ハイシーズンに働くスタッフ数
 40 - シェフの数
 26 - ホールで働く人の数
 8 - ウェイターひとり当たりの一日の歩行キロメートル数
 11,200 - 年間のスタッフの賄い料理の数
 12,000 - 海側の土地の平方メートル数
 80 - テラスの平方メートル数
 350 - 厨房のスペースの平方メートル数
 250 - ホールのスペースの平方メートル数
 200€ - 2008年時、一回の食事にかかる費用
 230€ - 2008年時、ドリンクを含むひとり当たりの費用(平均)
 170-200 - メニューにある素材の数
 1,500 - 一日にサーブされるカクテル、スナック、タパス料理、アヴァン・デセール、デザート、モーフィングの数
 700 - ゲストひとりの一皿ごとの料理のグラム数
 5,600 - 年間消費される食料の総量となるキログラム数
 200 - 毎晩厨房で使用されるキッチンクロスとエプロンの数
 1,000 - 毎晩使用される食器の数
 10,000 - 年間開けられるボトル数
 55 - ガラス製品の種類数
 750 - レストランで一日に使いまわすグラスの数
 1,666 - レストランにあるワイン数
 40 - ヴィンテージの種類の数
 216 - ぶどうの種類の数
 325 - ワインリストにあるDOCの種類の数
 2 - ワイン熟成貯蔵庫の数
 4,000 - 年間の創作のために費やす時間数 (”エル・ブリの一日”より)


 興味深いもの、そうでもないもの、いろいろですが、このレストランの特異性は、ホールの1.4倍もの厨房の広さにも現れていると思います。
 到着したゲストが真っ先に案内されるのは、厨房!
 レストランの常識的には隠したがるスペースをエル・ブリでは御開帳していたというわけです。
 料理長フェラン・アドリアとの握手やらで歓待されたゲストには、食後に再び厨房でのお別れのセレモニーが待っています。
 ハイテックで整然なる厨房を舞台にしたスタッフたちの統率のとれた動きは、それ自体見ものでしょうし、めくるめくアート作品のようなコース料理への期待感はここで否応なしに高まるでしょうね。

 いつものように午後7時くらいからスタート!
 お楽しみに。

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 店主の好きな映画を、その映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞して、当時の季節感もろとも味わってしまおうというお馴染み企画、金曜アルック座。
 ところが、今週はそのルールに当てはまる映画が見当たりません。
 そこで今回は趣向を変えて、音楽ドキュメンタリー「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」を。
 季節は野外フェスのシーズン目前となりました。
 そんな現在に至る大規模フェスの先駆けであり、60年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する事件ともいえる47年前の伝説のコンサートに思いを馳せてみるとしましょう。

 
1969年8月15日から3日間、ニューヨーク郊外ベセルの丘で、ロックの人気アーチスト多数が出演して、愛と平和と音楽の祭典が開かれた。これが世界の注目を浴びたウッドストック・フェスティバルである。企画者は、当時24歳の大富豪の御曹司ジョン・ロバーツ。彼はこの企画に10億円の私財を投げ出した。開催当日、ウッドストックに集まった若者は、予想を大幅に上回って40万人。この群集の混乱をさけるため、ロックのアイドルたちは、次々とヘリコプターで会場に運ばれた。彼らは叫ぶがごとく、泣くがごとく、昼夜ぶっ通しで歌い、演奏をつづけた。死者3人、病人5千人、出産2件を記録しながらも、アーチストと観衆が真の意味でひとつにつながりながら、ともに歌い、ともに踊った。若者たちの多くは、身につけている衣服を次々と脱ぎ、ある者は全裸になって、自然の大きな抱擁に身をまかせていた。現代の若者たちを縛りつける、あらゆる慣習、偏見はそこにはなかった。あるのは平和と音楽と、かけがえのない愛の姿であった。おりからの風雨の中でも、泥と食料難の3日間、若者たちは、歌から芽ばえた連隊感をもって、平和を謳歌した。それは体制内に出現した輝ける自治体であった...(KINENOTOより抜粋)


 店主もそうでしたが、名前にあるとおりこのコンサートは、ずばりウッドストックという街で開かれたものだと思われてる方が大半だと思います。
 主催者サイドも、古くから画家が集うアート・コロニーとして知られ、ボブ・ディランらアーティストたちも住んでいたこの地での開催を当然目論んでいたのですが、ピッピ―に占拠されるのではという過剰反応を示す周辺住民の反対運動に計画変更を余儀なくされ、もとの開催地の名前を残したまま、隣り街のベゼル(ニューヨーク市の北西120キロ)で開催される運びになったのでした。

 ウッドストックの翌年には、この世を去ることになるジャニス・ジョプリンや、ジミ・ヘンドリックス。そして今や、その後に天に召された参加ミュージシャンがずいぶん多くなってしまいました。
 しかしながら、彼らのプレイはもちろん、カウンター・カルチャーと結びついて新しいパワーをたはらみ始めたロックの目撃者となった聴衆が放つ熱量たるや今だ本作画面の端々に満ちております。

 ちなみにこの作品、編集に若き日のマーティン・スコセッシもクレジットされていて、第43回アカデミー賞において長編ドキュメンタリー映画賞を受賞しております。

 いつものように夜7時位からスタート。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「C階段」。
 33年前の6月6日に公開されました。

 ...パリのありふれたアパルトマンの“C階段”を舞台に、そこに住むスノッブで皮肉屋の美術評論家を主人公にすえて、彼がふれ合う人々の暮らしや、他人との軋轢の中で人間的に成熟していくさまを描く...(allcinemaより抜粋)

 フランス映画らしい小品。
 フランス映画らしさって、もちろん一義的ではありませんが、およそ修復不可能なくらい事件が続出しながら最終的にハッピーエンドに納まる典型的アメリカ映画のことを、故安西水丸さんは「アメリカばなし」とよばれておりましたが、くらべて、本作のように、大事態はほぼ起こらず、淡々とした語り口で綴られるというのはフランス映画にみられる一面といってもいいでしょう。

 「アメリカばなし」に馴染まれてる方には、「退屈な映画」と烙印を押されてしまう危険性もありますが、監督や脚本家、カメラマンの美学が色濃く反映された作品に流れる首尾一貫したある種のムードは、それが好みのものであった場合、たまらない深みとして感じられるのもまたフランス映画の「らしさ」であります。

 さて、若き頃より、シネフィル(映画狂)だった本作監督ジャン=シャルル・タルケは、19歳で映画批評誌「レクラン・フランセ」に入社します。
 この雑誌には、印象派の巨匠ルノワールの次男であり、映画監督であったジャン・ルノワールが協力者として名を連ねておりました。
 彼とタルケ監督に親交があったかどうかは定かではありませんが、本作には、主人公フォステルの心情に影響する小道具として、ルノワール作「じょうろを持つ少女」が使われています。本作でも印象に残るシーンのひとつが、パリ市内の美術館でフォステルがこの画に魅入られるところです。
 
 ところが、「じょうろを持つ少女」は、実際はアメリカのワシントンナショナルギャラリーの所蔵作品です。
 当然、パリにも他に、ルノワールの代表作はわんさかありますが、タルケ監督は架空の美術館を敢えて設定したということになります。
 主人公が目にすべき作品は、この「少女」でなければならなかった理由は、本作をご覧になって推論してみてください。

 いつものように、午後7時ごろからスタートいたします。
 お楽しみに。

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 ピエール・オーギュスト・ルノワール 「じょうろをもつ少女」 
 1876年 油彩、カンヴァス 100.0x73.0cm 
 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵




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