カテゴリ:金曜アルック座( 71 )

”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「インサイド・ルーウィン・ディヴィス 名もなき男の歌」。
 3年前の2013年12月6日に公開されました。

1961年、NYのグリニッジ・ヴィレッジ。ライブハウスで歌うフォーク・シンガーのルーウィン・デイヴィスは、最近何をやっても裏目に出てばかり。一文無しで知り合いの家を泊まり歩く日々。つい手を出した女友達からは妊娠したことを告げられ、おまけに仕方なく預かるはめになった猫にも振り回される始末。山積みになったトラブルから逃げ出すようにルーウィンはギターと猫を抱えて旅に出る。年老いた父との再会の末、とうとう歌をやめて父と同じ船員に戻ろうと決意するが、それさえもうまくいかない。旅から戻り打ち拉がれたルーウィンはまたNYのライブハウスにいた。歌い終えたルーウィンがふとステージに目をやると、そこにはやがてフォークの世界を大きく変えることになる無造作な身なりの若者の姿が...(公式サイトから抜粋)

 ディラン以前のフォーク・シンガーというと、ウディ・ガスリーやピート・シーガーくらいしか名前が出てきませんが、本作主人公のルーウィンにはモデルがおりまして、そのディランが駆け出しの頃憧れていたというデイヴ・ヴァン・ロンクなるフォーク歌手がその人。
 この人物の回顧録を下敷きに、コーエン兄弟が脚本を書き、監督したのが本作になります。

 1961年のNY、フォーク・クラブのメッカだったグリニッジ・ビレッジが舞台というのがまず興味深いですね。
 となると、その直後、時代の寵児になるボブ・ディランあたりにスポットをあてたくなるところですが、入れ替わるように人々の記憶から失われていったディランの5歳年上となる先輩格ミュージシャンが主人公のモデルというのがな珍妙なる悲喜劇を得意とするコーエン兄弟らしい。
 特筆すべきは、撮影が「アメリ」を撮ったブリュノ・デルボネル。
 このセザール賞を獲ったフランス人カメラマンが、冬のグリニッジ・ビレッジをどんな風に切り取って魅せてくれるのか要注目です。
 

 あと、映画の設定上、演奏シーンが見どころになりそうですが、ルーウィン演じるオスカー・アイザックの歌とギターは玄人はだしの腕前。
 今注目俳優の彼、実はジュリアード音楽院卒という経歴を持っているらしいので、それも納得の業であります。

   
 いつものように、夜7時くらいからスタート。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「グッバイガール」。
 39年前の1977年11月30日に公開されました。

 「役者の男なんてもうごめん。」
 固く心に決めた元ダンサー、ポーラでしたが、突然、彼女と娘ルーシーを捨てた男の役者仲間だという男が、二人のアパートを訪ねてくる。捨てた男が、彼、エリオットに部屋を又貸ししたのだ。互いの主張は折り合わず、やむなく共同生活をする羽目になった三人でしたが...

 元ダンサーのポーラに、マーシャ・メイソン、売れない役者エリオットに、リチャード・ドレイファス。
 二人のうまい役者をそろえて、脚本がニール・サイモンとくれば、映画の仕上がりが極上のものになるのは約束されたようなものですが、この映画のもう一人の立役者が、ポーラの一人娘ルーシー役のクィン・カミングス。
 当時10才の彼女。可愛らしいだけではなく、表現力豊かに「おとなこども」を演じて、二人のベテランと見事に渡り合っております。

 本作で、忘れがたいシーンのひとつが、エリオットとルーシーが馬車に乗ってニューヨークの街中を行く場面です。
 ポーラとエリオットの恋の行く末を不安に思ってふさぎ込むルーシーを励まそうと、馬車をレンタルしてきたエリオット。
 二人の背景には、流れるように映り過ぎていく初冬のニューヨークの街並み。
 「さあ、お馬さんの尻尾で涙をふいて。」
 子供扱いすることなくルーシーに向き合い、懸命に思いを伝えようとするエリオットの愛に溢れた美しいシーンであります。

 ちなみに、10月29日は、リチャード・ドレイファスの誕生日でした。
 「アメリカン・グラフィティ」で卒業したての高校生を演じていた彼も、69歳になっております。
 映画出演のオファーを受けてハリウッドに旅立つことを決意したエリオットにポーラは言います。
 「どうせならアカデミー賞を獲れるような俳優になってね。」

 若い頃から劇団公演でもまれ、ハリウッドの大作主演に抜擢されるまでになるリチャード・ドレイファスのキャリアは、まるまるエリオットの役どころに重なる部分も多く、彼お得意の、小柄な体型を生かしたコミカルな立ち振る舞いや軽妙なセリフ回しもばっちりはまり、本作において、史上最年少30歳の若さでアカデミー主演男優賞を現実に射止めることになりました。

 いつものように金曜夜7時からスタート。
 お楽しみに。
  
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 11月21日は、ゴールディ・ホーンの誕生日であります。
 今や「ケイト・ハドソンのママ」との肩書きの方が世間的に通りの良い彼女ですが、70年代~80年代のハリウッドにおいては、その美貌とコミカルなキャラで、コメディの女王として君臨しておりました。
 というわけで、今夜のアルック座は店主一押し、ゴールディの魅力が弾けまくる傑作、「ファール・プレイ」。

世界各国を歴訪中で、まもなくサンフランシスコを訪問するローマ教皇の案内役を務める予定のサンフランシス大司教が何者かに殺害された。

数日後、図書館司書のグロリアは気晴らしに行ったパーティーからの帰り道、ヒッチハイカーの若い男を拾い上げるが、その男は彼女に1本のフィルムを預け、後日映画館での再開を約束し、車を降りていった。その日、映画館には約束どおり男が現れるが、深手を負っていた男は「殺人がある。小人に気をつけろ」という言葉を残し事切れてしまう。

その日を境にグロリアは白皮症の男から執拗に付きまとわれるようになる。彼女は刑事のトニーに助けられ、捜査に乗り出す。

その結果、グロリアが拾った男は政府の秘密情報員であり、大司教殺害事件を追っていたこと、暗殺者が“小人”と呼ばれている人物であることが判明する。

やがて、2人は暗殺者の次の標的がローマ教皇であることを知り、暗殺阻止に向けて動きだす。(ウィキペディアより)

 監督コリン・ヒギンズは筋金入りのヒッチコキアン(ヒッチコック狂)で有名。
 本作にしても、要人暗殺というプロットは「知りすぎていた男」のオマージュであるし、そのほかにもヒッチコック作品のパロディーがあちらこちらに散りばめられていて、ヒッチコック好き、映画好きには宝探しのような楽しみ方もできてしまいます。

 当然、大筋はサスペンス仕立てなのですが、この監督が一筋縄では行かないのが、そのコメディーセンス。
 色魔の指揮者役に、イギリスのコメディアン、ダドリー・ムーアを引っ張り出してきたり、バージェス・メレディスとレイチェル・ロバーツにスラップステッィク調のカンフー対決をさせたりと変幻自在。

 教皇が観劇するオペラが、なんとも奇妙な東洋趣味に彩られた「ミカド」(実在します...)というのも笑えます。
 
 そして、なんといっても主演は、顔の半分も占めそうな大きなお目目のゴールディ・ホーン。
 公開当時33歳。おそらく、このキュート過ぎるブロンドが恐怖に慄き悲鳴を上げる度に、逆に映画館は沸いたはず。
 ヒッチコックがブロンドビューティーと恐怖心理という映画作りの枠組みにこだわったことを思うと、本作最大のパロディーは、ハリウッドを代表するコメディアンヌ、ゴールディを主役に据えたことなのかもしれません。

 ちなみに、実現には至りませんでしたが、ゴールディの実娘ケイト・ハドソン主演で「ファール・プレイ」のリメイク話が一時期あったそうです。
 残念。

 いつものように、午後7時ごろスタートします。
 お楽しみに。






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 ノーベル賞受賞が発表されてからというもの、何かとお騒がせなボブ・ディラン。
 どうやら受賞の意志はあるようですが、「式典には行けたら行く」というつれないコメントに相変わらず関係者はヤキモキしているようであります。
 今夜のアルック座は、そんな今旬な人、ボブ・ディランの半生を描いた「アイム・ノット・ゼア」。
 9年前の11月21日ロードショー公開(米)されました。

19世紀フランスの詩人アルチュール・ランボー(ベン・ウィショー)は「なぜプロテスト・ミュージックをやめたのか?」という尋問を受けている。1959年、「ファシストを殺すマシン」と書かれたギターケースを持つ黒人少年ウディ(マーカス・カール・フランクリン)は黒人ブルース・シンガーの家に転がり込む。しかし老母に「今の世界のことを歌いなさい」と言われ、再び旅に出る。列車で強盗団に襲われた彼は白人女性に助けられるが、少年鑑別所から電話がかかってくる。60年代後半のプロテスト・フォーク界で、ジャック・ロリンズ(クリスチャン・ベール)は中心的存在となる。しかしパーティのスピーチでJFKの殺害犯を称え反感を買い、身を隠す。約20年後、彼は教会でジョン牧師と名乗っていた。ベトナム戦争が本格化した1965年、新人俳優ロビー(ヒース・レジャー)は、美大生クレアと出会い、結婚する。しかし次第に2人の感情はすれ違い始める。1973年、ベトナム戦争からの米軍の撤退のニュースを見ていたクレアは離婚を決意する。1965年、ジュード(ケイト・ブランシェット)はロックバンドを率いてフォーク・フェスティバルに出演し、ブーイングを受ける。彼はバンドと共にロンドンに向かい、ニューヨークの人気モデル、ココ・リヴィングトンと出会う。ライブで再びロックを演奏し、パーティ会場で悪態をついた彼は会場を後にするが、地面に倒れ込む。西部の町リドルでビリー(リチャード・ギア)は隠遁生活を送っていた。ハイウェイ建設のため町民に立ち退き命令が下る。ビリーはその黒幕がギャレット長官であることを突き止め、ギャレットの演説会で彼の悪行を非難する。町民たちはその言葉で一斉蜂起を始める。ビリーは新たな旅先を目指し、旅に出る。彼のギターケースには「ファシストを殺すマシン」と書かれていた。 (KINENOTOより)

 なんとも意味不明な映画と判断されそうなあらすじでありますが、それもそのはず本作は、ディランを連想させる登場人物を6人の俳優が演じた6つのストーリーから構成されているのでした。
 一見オムニバス形式の作品にはみえるのですが、それぞれのストーリーには脈絡がないわけではなく、ディランのファンであれば、彼のキャリアのなかのターニング・ポイントとなったエピソードに重ね合わせて観ることができるでありましょう。
 
 さてご承知のように、ディランは白人男性ですが、おもしろいのは、人種はおろか、性別まで超越した俳優陣のラインナップです。
 多分に実験的な構成にはなっておりますが、一筋縄ではいかないディランの多面性を描き出すには、効果的なキャステイングであったと思います。
 現実には1人の人間であるボブ・ディランを、6つの違ったパーソナリティーを持つボブ・ディランであぶり出そうとした監督トッド・ヘインズ。
 奇才の面目躍如といったところでしょうか。

 いつものように夜7時くらいからスタート。
 お楽しみに。
 
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 さる10月1日は、「コーヒーの日」だったというのをご存じでしたか?
 コーヒー豆生産国の収穫期が9月にほぼ終了し、10月から新しい年度になることにちなんでおります。
 つまり、「コーヒー年度」の元旦ということですね。
 
 今夜のアルック座は、現代のコーヒーカルチャーを追った、知られざる「Seed to Cup(種からカップまで)」の物語をお送りします。
 世界中に足を運び、畑からカフェの現場まで、コーヒーの世界を美しく紡いだ本作を観たならば、思わず一杯注文したくなること請け合い。
 コーヒー好きはもちろん、コーヒーがちよっと苦手という人にとっても、この琥珀色の液体に囚われた人々の映像記録は興味深く観ていただけると思います。
 
 いつものように夜7時くらいからスタート。
 お楽しみに。






 

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ある日どこかで」。
 36年前の1980年10月3日公開(米国)されました。
 
 ロシアロマン派の代表的な作曲家、セルゲイ・ラフマニノフの作品に、「パガニーニの主題による狂詩曲」というのがあります。
 25部の変奏曲から成る狂詩曲中、単独で演奏されることも多い有名なパートが第18変奏。
 映画「ある日どこかで」は、まさしくこの第18変奏が、ストーリーの重要な鍵に...。
 

1972年、脚本家志望のリチャードの処女作上演後のパーティー会場に、成功を喜ぶ彼を会場の隅から見ている上品な老女がいた。彼女はリチャードに歩み寄り、「私の所へ帰ってきて(Come back to me)」と言う不思議な言葉と共に懐中時計を手渡し去っていった。彼女が何者なのか知っている者は誰一人としていなかった。彼女はグランドホテルの自室に戻り、リチャードの書いた脚本を胸に抱いて、思い出のラフマニノフの曲を聴きながら、その夜静かに息を引き取った。8年後の1980年、脚本家となっていたリチャードは、原稿を求めに来る編集者から逃げるように、車で旅に出た。そしてドライブの途中で通りかかったグランド・ホテルに、引き寄せられたかのように宿泊した。ふと立ち寄ったホテル内の歴史資料室で、リチャードは背中に熱い視線を感じた。振り返ってみると、そこには若く美しい女性の写真が掛かっていた。ホテルの老ボーイに尋ねると、彼女はそのホテル内の劇場で1912年に公演をした女優であることを知る。リチャードは彼女についての調査に没頭し、写真の主は当時の人気女優エリーズ・マッケナであり、1912年以降活動しなくなったことを知る。また1972年のあの夜に彼女が亡くなったことも知る。そして、彼女の愛読書がリチャードの哲学教師の著書である「時の流れを超えて」であることに驚き、ここで「帰ってきて」の意味を悟った。当然のように、リチャードは「時間」という壁にぶつかってしまった。それからリチャードが取った行動は、運命の人を求めての、信じられない旅立ちだった。(ウィキペディアより抜粋加筆)

 本作をカテゴライズすると、一般的にはタイムトラベルものということになってしまうのでしょうが、リチャードとエリーズの悲恋物語というのが本筋でありましょう。
 実は、時空を超える手段としてタイムマシンの類は登場しません。
 まさに、恋する男の一念岩をも通す。リチャードの涙ぐましい努力は、作中でご覧になってください。
 
 さて、ラフマニノフが、「パガニーニの主題による狂詩曲」を発表したのは、1934年のこと。
 リチャードとエリーズが出会うのが1912年ですから、1980年から遡って飛来した未来人?リチャードが鼻歌で唄うラフマニノフの同曲は、エリーズにとっては未知の曲だったということになります。
 映画には描かれておりませんが、やがて発表された同曲を聴くことになるエリーズの驚嘆は想像に難くありません。
 タイムトラベル特有のこういった「矛盾」が、後々「筋が通る」鍵にもなるというパターンはよくありますが、ストーリーの整合性がとれた途端の爽快感はやっぱりたまりません。
 本作では、それをラフマニノフに設定しているあたりが心憎いわけです。

 リチャードを演じるのは、あのクリストファー・リーブ。
 1995年、落馬によって事実上役者生命を絶たれる障害を負ってしまったことが悔やまれる溌剌とした演技が光る本作や、名優マイケル・ケインと渡り合った良質なサスペンス「デストラップ」を観るにつけ、彼がただの肉体派のスーパーマン俳優に甘んじる器でなかったことがよくわかります。

 本作のロケ地は、そのほとんどが、アメリカ、ミシガン州ヒューロン湖に浮かぶリゾート地マキノ―島。

 リチャードとエリーズが出会う19世紀の面影たっぷりのホテルは、それもその筈、マキノー島に実在する1887開業の木造建築ホテルです。

 そして今や、「ある日どこかで」にちなんだイベント「Somewhere in Time(本作原題) Weekend」が毎年開催される本作を熱狂的に愛するファンにとっての聖地でもあります。

 いつものように夜7時からスタートです。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ノーマ、世界を変える料理」。
 1年前の2015年11月に公開(デンマーク)されました。

独創的な料理の数々で世界から注目を集めるデンマーク、コペンハーゲンの人気レストラン「NOMA(ノーマ)」のオーナーシェフ、レネ・レゼピを追ったドキュメンタリー。英レストラン誌が選出する「世界ベストレストラン50」で2010年から3年連続1位に輝いたものの、2013年に2位に転落した同店が、第1位への返り咲きを目指す4年間の記録。(映画.comより抜粋)

 レストラン業界のアカデミー賞とも評される「世界ベストレストラン50」。
 その影響力たるや、国家の観光競争力ランキングをも押し上げるといわれ、今やトップシェフたちがミシュランの格付け以上に意識する「番付」になっているとのこと。
 本作の主人公は、そのランキングにおいて、3年連続1位に輝いたレストランのカリスマシェフであります。
 レストラン業の裏側を描いたドキュメンタリーとしては、やはり、世界の料理業界に多大なるインパクトを与えたスペインの今は亡きエル・ブリに潜入した「エル・ブリの秘密」がありますが、食事を提供することを生業にしている端くれとしては、この「ノーマ」もまた、大いに面白く観ることができました。
 両作を比較すると、「エル・ブリ」がレストランのラボラトリー然とした無機質なバックヤードを執拗にカメラで追いかけていたのに対して、「ノーマ」は加えて、スターシェフ、レネの人間像を、彼自身や彼の家族、そして食材提供者等へのインタヴューから浮彫にしてみせます。
 32歳という若さで頂点に立ってしまった自分自身のことを、「嫌な男に成り下がってしまった」と断ずるレネ。
 ノーマが掲げたスカンジナビア限定の食材を使ったレシピの創造というコンセプトは、北欧の料理人たちに徐々に伝播していき、食のトレンド「ニューノルディック・キュイジーヌ」の開花に至りました。そんな北欧における華やかなる食の革命の裏側に、マケドニアにルーツをもつ一人の男の苦悩の道程があったことを本作は実直に告白しているわけであります。

 ちなみに、レネ・レぜピは、「世界ベストレストラン」1位に5度輝いたエル・ブリのOB。
 現在の北欧料理界の隆盛を予言したのは、エル・ブリ料理長、フェラン・アドリアその人であったといいます。

 いつものように夜7時くらいから始めます。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」。
 32年前の1984年9月29日公開(米国)されました。

 
ハンガリー出身で、ニューヨークでギャンブラーとして生計を立てているウィリーの元に、クリーブランドに住む叔母から電話があり、彼女が入院する10日間、ブタペストから来た従妹のエヴァを預かることになる。風変わりなエヴァと無愛想なウィリーのあいだではなかなか会話がかみ合わないが、日が経つにつれ打ち解けていく。ウィリーの相棒エディも交えて、それなりに楽しい日々が続いたが、クリーブランドへ向かわねばならないエヴァ。1年後、エディといかさまポーカーで儲けたウィリーは、共に車でエヴァに会いに行く。恋人もいてホットドッグ店でアルバイトをしているエヴァは二人との再会を喜ぶ。そこで数日を過ごすが、エディーとウィリーは雪に閉ざされたクリーブランドに退屈し、突如としてフロリダへ行くことを思いつく。そして叔母の反対を押し切って、エヴァを連れてフロリダへ向かった...(ウィキペディアより抜粋)


 喜怒哀楽を顔に出さない登場人物たち。逆にいうと、彼らは表情を崩すような状況にほとんど置かれることなく、ニューヨーク、クリ―ブランド、フロリダと舞台を移し物語は進行していくわけです。
 そんな映画のどこがおもしろいのかといわれそうですが、これがそこはかとなくおもしろい。
 
 印象に残る一場面があります。
 男女3人が、冬のクリ―ブランドで退屈しのぎに、エリー湖を観に行くシーンです。
 結局、吹雪による視界不良で、湖どころか認識できる景色は皆無。
 ただただ白く広がる空間を前に、3人は立ち尽くすことしかできなくて...
 
 とことんついていない彼らなのに、その点鈍感というか、不運を置き去りにできる才があるというか。
 観客はそんな彼らの超マイペース振りに、軽い安堵感を覚えつつ、ついくすりと笑ってしまうのです。

 条理極まりなくもごくごく日常的な会話、全編モノクロの余計なものを映しこまない演出、出演者はチョイ役(たとえば、トム・ウェイツとか)含めて、みんな原則的に「デッドパン(無表情)」。
 こんな約束ごとに則って撮られたからこそ成立した悲しきコメディー。
 才人、ジム・ジャームッシュ監督、1984年の出世作をどうぞご堪能あれ。

 いつものように夜7時スタートです。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ラウンド・ミッドナイト」。
 30年前の1986年9月24日公開(フランス)されました。
 

パリを舞台に、ジャズ・ミュージシャンのデイル・ターナーと、デイルの音楽を愛しサポートする青年フランシスの友情を描く。実在のジャズ・ピアニスト、バド・パウエルがパリで活動していた時期の実話が元になっており、フランシスのモデルも実在のフランス人デザイナー。(ウィキペディアより)

 
 主役のデイルを演じたのは、当時63歳になるジャズサックス奏者、デクスター・ゴードン。
 本作を初めて観た後、とにかく驚きを禁じ得なかったのは、出演ジャズメンの演技達者ぶり。映画初出演でアカデミー主演男優賞にノミネートされたD・ゴードンはもちろん、エディ役のハービー・ハンコックなんかも実にそつがありません。
 刻々と変化する刹那に音をやり取りして音楽創造するジャズミュージシャンたちの感性は、「演じる」ことにも直感的な才を発揮するのでしょうね。

 
 でも、監督ベルトラン・タヴェルニエが、D・ゴードンを起用した理由はそれだけではないはずです。
 本作は、バド・パウエルの実際のエピソードを下敷きにしているわけですが、ドラッグ&アルコール依存症に悩まされ、本国アメリカにおけるいわゆるジャズ不況もあって、60年代初頭に新しい環境を求めて渡欧したのは、D・ゴードンもまた同様でありました。至極当然主人公デイルが、彼自身に重なってみえてきてしまいます。
 彼の代表作「アワ・マン・イン・パリ」は、1963年にタイトル通りパリで録音されたものですが、因縁めいてるのは、ピアノで共演しているのがB・パウエルその人ですし、D・ゴードンという人物は、当時のパリの空気感、渡欧組ジャズメンの人間関係をよく知る正に生き証人だったといえましょう。
 多分に、彼という存在がなければ、本作の成立はなかったかもしれません。

 出演から4年後、D・ゴードンは、敬愛する先人たち、互いに刺激し合った同僚プレイヤーたちが待つ天上のステージへと旅立ちました。 

 舞台は1959年のパリ、音楽はジャズ、ジャズ、そしてジャズ。
 愛すべき「ノッポさん」デクスター・ゴードンの枯れた名演技、そして言わずもがなの名演奏にゆたっり浸ってください。

 いつものように、夜7時くらいからスタートです。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ロスト・イン・トランスレーション」。
 13年前の2003年9月12日に公開されました。

ハリウッド俳優のボブは、ウィスキーのCM撮影のために来日する。慣れない国での孤独感を感じるボブは、東京のホテルに到着した翌朝、エレベーターで若いアメリカ人女性、シャーロットと乗り合わせた。彼女はフォトグラファーの夫の仕事に同行してきた新妻で、やはり孤独と不安に苛まれていた。やがて2人は、ホテルのバー・ラウンジで初めて言葉を交わし、親しくなる。シャーロットの友人のパーティーに誘われ、夜の街へと出掛けたボブは、カタコトの英語を話す若者たちとの会話を楽しみ、カラオケでマイクを握るシャーロットに魅入る。2人は東京に来て初めて開放的な気分を感じた。ボブはCM撮影が終了したが、急遽舞い込んだテレビ出演の話を承諾し、滞在を延ばすことになった。ボブは、シャーロットとランチを共にし、ホテルの部屋で古い映画を観て時を過ごし、絆を深めていった。だがボブの帰国の時が訪れる...。(KINENOTOより抜粋)

 ウィキペディアの請売りですが、ソフィア・コッポラ監督による本作のテーマは「アノミー」だといいます。
 ウィキのリンクで、「アノミー」に跳ぶと、「アノミー(anomie)は、社会の規範が弛緩・崩壊することなどによる、無規範状態や無規則状態を示す言葉。フランスの社会学者エミール・デュルケームが社会学的概念として最初に用いたことで知られる。」とのこと。
 さらなる???のぬかるみに足をとられそうになったので、慌てて、不勉強人にも解かりやすいことばで論じていそうな方のブログにて「アノミー」をお勉強したところ、店主的には「アノミー=人が生きてる限り、本来生じる何かとのつながりや目的が失われた状態」というところに着地いたしました。

 さて、本作中のアメリカ人男女は、二人とも「アノミー状態」で、新宿のホテルで遭遇します。森進一の「新宿・みなと町」?ではありませんが、自ら望んだわけでもなく、なんとなく流れ着いたというわけですね。
 妖しげな賑々しさに彩られた新宿という街にあって、二人が宿泊しているパークハイアット東京は、この上なく快適なコクーンのようであります。
 互いの「アノミー」を悟った二人は、抱えた喪失感を埋めるように、ホテルを出て東京という異国の大都会の冒険にくり出します。
 セレブ御用達の「コクーン」を抜け出すことが、二人に連帯感なりある種の共犯意識を芽生えさせるきっかけになるところがおもしろいのです。
 つまりは、「アノミー」から抜け出す一歩になったわけですね。

 主演の二人は公開当時、ビル・マーレイ53歳、スカーレット・ヨハンソン19歳。
 変化のない結婚生活に萎えてしまった中年俳優と、輝く美しさを湛えながら未来に不安を抱く新妻。
 説得力のあるキャスティングは、「ロスト・イン・トランスレーション」の成功の肝といえましょう。
 店主自身何度も身を置いたはずの馴染みの新宿の雑踏の中を、スカーレット・ヨハンソンが消え入りそうになりながら歩くシーン。
 ただそれだけなのですが、本作全体に流れる漂流感と相まって、何ともいえず心に沁みる映像美があります。

 いつものように夜7時からスタート。
 お楽しみに。

 
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