カテゴリ:金曜アルック座( 65 )

 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ダイナー」。
 35年前の1982年3月5日に公開されました。

大晦日も近い1959年のボルチモア。街のダイナーを溜まり場にする大人に成りきれない5人の若者たち。ギャンブル狂のブギーは、キャロンと彼が寝ることに20ドル賭けないかと言い、みんなも賭けにのった。レコード収集狂のシュレヴィーは、レコードのかたずけ方のことで妻のベスと口論になってしまう。ブギーが働く美容院に賭けの取り立て屋タンクがやって来た。賭け金2千ドルを今夜中に払えといって、彼を殴り倒す。ブギーは風邪で寝こんだキャロンの代わりに、ベスにかつらをつけてキャロンに見せかけてファックし、みんなから賭け金を取ろうとしたが、寸前で彼女を賭けの犠牲にはできないと引き返した...。(allcinemaより抜粋)

 ウィキペディア的には、北米に特有のプレハブ式レストランというのがダイナーの定義。主な特徴は、アメリカ料理を中心とした幅広いメニュー、気取らない雰囲気、カウンターのある店内、そして深夜営業。特にニューヨーク州、ニュージャージー州、およびアメリカ東海岸北東部に多くみられたそうです。
 舞台であるメリーランド州ボルチモアはまさに、古くから天然の良港として知られていた東海岸の街。

 ところで本作は、後に「レインマン」でオスカーを獲るバリー・レヴィンソン監督のデビュー作になります。
 レヴィンソン監督作には、ボルチモアを舞台としたものが多いですが、それもそのはず、監督はこの街の出身。
 タイトル通り、必然的にダイナー店内でのシーンが多くなりますが、この映画がおもしろいのは、ある瞬間、まるで同じソファ席で登場人物たちの会話に参加しているような感覚を覚えることです。
 おそらく、若き日レヴィンソン監督は、地元のダイナーに仲間と共に入り浸っていたことでしょう。そこで交わされるのは、延々と続く他愛ない会話だったはず。
 

 他愛無い会話が続くという意味では、退屈な映画という印象をもたれてしまう方もいると思いますが、思い起こせば、親しい間柄のリラックスした会話ほど他愛ない内容に終始するのはよくあること。
 「ダイナー」が描いたアメリカ地方都市の古き良き50年代最後の一週間。ベトナムや人種問題の影はまだ見当たりません。映画に流れる安閑とした雰囲気をつくり出すためには、思い入れのある故郷を舞台にしたことに加え、監督にとって、このダイナーでの会話のシークエンスは外せない演出だったのかもしれません。

 いつものように夜7時からスタート。
 お楽しみに。

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 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、フェデリコ・フェリーニ監督「ジンジャーとフレッド」。
 実は店主、31年前の2月23日、イタリア本国、ミラノにて本作を観ております。

ハリウッドの名ダンス・コンビにあやかった芸名で、かつてそこそこ人気を博したアメリアとピッポは、クリスマスのTV番組出演で30年ぶりの再会を果たす。TVの速いテンポに戸惑う二人だが、甘いノスタルジーに浸ったり、過去のあやまちを悔いたりするうち、恋人同士でもあった頃の感情を取り戻していく。だが今はそれぞれの生活もあり、出番を終えれば再び別れゆくのだ……。(allcinemaより抜粋)

 古い話ですが、このとき学生だった店主はヨーロッパで美術館巡りをしておりました。
 日付がはっきりしているのは日記をつけていたからで、読み返してみますと、この日は早朝バスでミラノ入りし、ダヴィンチの「最後の晩餐」、カラヴァッジョの「エマオの晩餐」を鑑賞しており、いささかテンション高めです。
 いきさつは忘れましたが、晩餐!後(日記によれば、貧乏旅行の主食、マックハンバーガー)、フェリーニの新作がロードショーにかかっていることをどこかで聞きつけ、ガレリアあたりにあった映画館を探し当てて観たのでした。
 

 当然字幕はなしのイタリア語。
 ほとんど会話の内容をつかめなかったはずでありますが、そこは、マルチェロ・マストロヤンニとジュリエッタ・マシーナ。
 イタリア映画の至宝二人の枯れた演技は、この日映画館を訪れたミラネーゼにも、日本から来たひよっこ大学生にも、フェリーニがこの映画に込めた思いをわけ隔てなく伝え届けてくれたのでした。
 晩年を迎えた芸人コンビの30年ぶりの再会。
 時間の経過というものは、思い出を増幅させたりもしますが、異質に変化させたりもします。
 それは、残酷でもありますが、否応なしに美しかったりするわけです。

 名優二人も名匠フェリーニも、そろって60代にさしかかってから撮った「ジンジャーとフレッド」。
 晩年の3人の現実まで透けてみえるような映画であります。
 「ラストは泣けた、泣けた。」
 本作を観た日の日記の稚拙な締め繰り。
 ちなみに、前日2月22日は、フェリーニ夫人でもあったジュリエッタ・マシーナの誕生日でありました。

 いつものように夜7時からスタート。
 お楽しみに。


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 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”というのが、金曜アルック座の主旨なのですが、先週に続き今週も過去この時期ロードショー公開された店主好みの映画が見当たらないので、趣向を変えて、音楽ドキュメンタリー映画をセレクトしてみました。
 そんなわけで今夜のアルック座は、「AMY エイミー」。

2011年7月23日に急逝したエイミー・ワインハウス。映画『AMY エイミー』は、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーやトニー・ベネットらがその歌声を絶賛、レディー・ガガ、ジャスティン・ビーバー、アデルら多くのミュージシャンたちにリスペクトされ、世界中の音楽ファンに愛された彼女の生涯を描いた傑作ドキュメンタリー映画。
1983年、イギリスのユダヤ系家庭に生まれたエイミーは、10代でレコード会社と契約を結び、弱冠20歳で完成させたデビュー・アルバム『Frank』で大きな評価を得た後、続くセカンド・アルバム『Back To Black』が全世界1200万枚のセールスを記録、シングル「Rehab」も大ヒットし2008年のグラミー賞で5部門受賞を成し遂げた若き天才シンガーです。

幼少期からジャズに親しみ、ダイナ・ワシントン、サラ・ヴォーン、トニー・ベネット、キャロル・キング、ジェイムス・テイラーらの音楽を聴いて育ったエイミーは、思春期にニューソウル、ヒップホップ、カリビアン・ミュージックとの衝撃的な出会いを経験。50年代のジャズ、60年代のソウル・ミュージックをアップデートしたサウンドにのせられたグルーヴ感満載の彼女のヴォーカルは、一度聴いたら忘れられません。映画では全編を通して彼女の楽曲が流れ、ブルーノ・マーズなどをプロデュースするマーク・ロンソンやアメリカ音楽界の大御所トニー・ベネット、ラッパーのヤシーン・ベイ(元モス・デフ)らが出演。本物のミュージシャンとしてのエイミーの魅力を解き明かします。(映画「AMY エイミー」公式サイトより)


 2011年、27歳で急逝したエイミー。

 アルコール中毒死でした。

 やはりどうしても、1969年から1971年の2年間に著名なロックミュージシャンたち(ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン)の悲報が相次いだことから、呼ばれ始めた27クラブの因果を思わずにはいられません。

 1994年にカート・コバーンが自死した時も、彼がこのクラブをどこかで意識した可能性も言われました。

 彼らは皆27歳でこの世のステージを降りてしまったのです。


 いつものように夜7時くらいからスタート。

 お楽しみに。







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 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”というのが、金曜アルック座の主旨なのですが、今週来週の過去この時期ロードショー公開された店主好みの映画がどうにも見当たらないので、趣向を変えて、音楽ドキュメンタリー映画を急遽セレクトしてみました。
 そんなわけで今夜のアルック座は、「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」。

美しき天才ピアニスト、グレン・グールドは、1932年トロントに生まれ、46年にピアニストとしてデビューした。55年にアメリカでレコードデビューを果たし、同年録音したアルバム『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』がバッハの斬新な解釈、画期的な録音と演奏でベストセラーになり、一躍時代の寵児になった。真夏でも手袋とマフラーを手放さない、異様に低い椅子に座り歌いながら演奏する、1964年以降コンサートを開催せずにレコードだけを発表する……。エキセントリックな言動ばかりが取りざたされる一方、並外れた演奏技術と高い芸術性を持つ演奏で人々を魅了し、死後30年経とうとしている今でも新たなファンを獲得し続けている。グールドに関する映像作品は彼の音楽家としての才能を描いたものが多いが、本作はその才能とともに、グールドを愛した女性たちの証言により、彼の知られざる本質の謎に迫る。いままでグールドについてオフィシャルに語ったことのなかった、グールドのデビュー当時の恋人フランシス・バロー、人妻である画家コーネリア・フォス、ソプラノ歌手ロクソラーナ・ロスラックなどへのインタビュー、未公開の映像や写真、プライベートなホーム・レコーディングや日記の抜粋から、ひとりの人間としてのグレン・グールドの実像に焦点を当てる。(Movie Walkerより)

 いつものように夜7時くらいからスタート。
 お楽しみに。






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 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ワン・フロム・ザ・ハート」。
 35年前の本日1982年2月12日に公開されました。

7月4日の独立記念日を明日に控えた、ラスベガスの街。ツーリスト・ビューローに勤めるフラニーの夢は南洋のボラボラ島へ行くこと。そして同棲生活5年目を迎える恋人ハンクはそんな島へ行く事よりも彼女との平凡な家庭生活を密かに望んでいた。そしてそのような性格不一致の二人はささいな事からケンカ、フラニーは遂に家を出ていってしまう……。(TSUTAYAサイトより抜粋)

 個人的好きさ加減と世間的評価がこれほど激しくかい離している映画もそうそうありません。
 公開当時、批評家からこき下ろされるは、興行的に振るわないわで、首が回らなくなってしまったコッポラ監督は手塩にかけた自身のスタジオを手放す憂き目にあってしまいます。
 そんないわくつきの本作ですが、これが店主にとっては若かりし頃からの愛すべき一本でありまして。

 
 巷間伝えるところによれば、「地獄の黙示録」の制作過程で悪天候に散々悩まされた轍を踏まないようにと、本作は全編セット組みされてスタジオ撮影が敢行されました。ネオン街も、砂漠も、空港もすべてロケセット。
 欲しい映像への執着も相当で、砂丘の柔らかな起伏を撮りたいがために、砂地に横になった女性を埋没させてそのラインを狙ったという逸話まで残っております。

 資金を圧迫した問題のロケセットですが、これがオペラ舞台の書割並みのしつらえにしか見えません。(巨大なジェット機の模型が画面を覆い隠すようにして飛び去るシーンには息を呑んでしまいますが)
 もともとリアリティは無視されていて、あえて「映画の嘘」を露出させているようなところがあります。
 サーカス一座のダンサー役でナスターシャ・キンスキーが出演しているのですが、時代のミューズだった彼女の眼力全開の美しささえロケセットの延長のような空虚さに包まれています。

 コッポラにとっては、カメラで切り取った際の様式美と映画全体をファンタジーの被膜で包み込むことが大優先だったのでしょう。
 結果的に、コッポラの狙いどころは成功していると思います。
 商業的な敗北を除いては。
 いずれにしても、現代の映画作りの現場からは生まれようもない究極のこだわりが、非現実的な映像美をまとった平凡なラブストーリーという素晴らしき差異に満ちた映画を残したわけです。

 いつものように夜7時くらいからスタート。
 お楽しみに。

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 本日1月20日は、オードリー・ヘップバーンの23回目の命日にあたります。
 先週に引き続き、この稀代の名女優を偲んでお送りする今夜のアルック座は、1967年に公開された「いつも2人で」。
 数あるヘップバーン作品のなかでも、店主一番のお気に入りであります。
  

 人生はいつも長い旅路。出会いと別れ、喧嘩と仲直り、熱愛と惰性……倦怠期を迎えた結婚12年目の夫婦が今再び愛を取り戻そうと旅に出る...(DVD解説より)

 本作原題は、「TOW FOR THE ROAD」。
 一組の夫婦が、出会いから12年の間に、フランスに通じる街道を6度旅します。その時々の二人の関係性、身の回りの状況は、当然の如く変化していくわけですが、旅の舞台は、いつも同じ道という設定。
 時間軸が一部交錯してしたり、瞬時に次の旅に切り替わるややこしい演出もあるので、旅のお伴の車を手掛かりに、二人の旅の軌跡を並べてみました。ちなみに、()内の数字は映画にでてくる順番。

 1回目の旅(1)ジョアンナ(オードリー)とマーク(アルバート・フィニー)が出会った学生時代のヒッチハイク

 2回目の旅(3)車が買えない二人はマークの元カノ家族とのチープなアメ車の旅に

 3回目の旅(2)ようやく購入できた中古のMGでの二人旅、ジョアンナは妊娠中

 4回目の旅(4)赤いオープンカーでのマークの一人旅、ジョアンナは生まれた子供の世話で留守番

 5回目の旅(5)子供と一緒に3人で、車は同じく赤のオープンカー

 6回目の旅(6)現在の二人、車は白のベンツに格上げ

 公開当時、38歳になっていたオードリーは、あの妖精の如き可憐さのアピールこそ少なくなったものの、7歳下のアルバート・フィニー相手に、エレガントな麗しさをたたえた大人の女優として、貫録の演技を魅せております。
 「いつも2人で」は、オードリーといえばジバンシーというイメージを断ち切った作品でもありました。89着に及ぶプレタポルテが衣装として乱舞する本作は、60年代というテーマで、オードリー・ヘップバーンというモデルの単独ファッションショーを3回分くらい観たような贅沢な印象を味わえます。
 いろんな意味で新境地を開いたそんなオードリーではありましたが、残念ながらこの後『暗くなるまで待って』を最後に、家庭を優先するがために一時女優業から身を引くことになるのでした。

 本作のもう一人の立役者は、間違いなくスコアラー、ヘンリー・マンシー二でしょう。
 夫婦間の葛藤の収め方はさまざまでありましょうが、スター中のスター、オードリーを主役に迎え、実験的手法で撮られた倦怠期な夫婦ロードムービーという異色の本作においてでさえ、マンシーニの泣きそうなくらいノスタルジックなテーマ曲がラストシーンに流れてくると、「なんだかんだいっても」とか、「いろいろあったけど」とか、とってもありがちな文節で締めくくるのがしっくりきてしまうのです。
 全部さらっていってしまう音楽の力、映画におけるスコアの重要性を、あらためて認識させられる作品でもあります。

 いつものように、午後7時くらいからスタート。
 お楽しみに。

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 1月20日は、オードリー・ヘップバーンの23回目の命日にあたります。
 アルック座では、”Audrey January”と銘打ちまして、2週連続でヘップバーン主演作を取り上げます。
 というわけで、彼女を偲ぶ今夜の作品は、1961年に公開された『ティファニーで朝食を』。
 

 いうまでもなく、ヘップバーンの代表作である本作。
 原作は、ノーマン・メイラーをして「もっとも完璧に近い作家」と言わしめた早熟の天才トルーマン・カポーティ。
 小説の映画化となるとよく起きがちなことですが、『ティファニー』にしても、小説と映画で描かれている世界観の差異が甚だしい作品として挙げられることが多いといっていいでしょう。
 
 事実、カポーティが映画化を許可した第一条件は、主演にマリリン・モンローを据えるということだったといいます。
 主人公のホリーが高級娼婦とも捉えられかねない設定であったことから、モンロー側がイメージ低下を嫌ってこのキャスティングは頓挫。カポーティは、ヘップバーンがホリー役を演じることになり、彼女に合わせてシナリオを書き直すことにしたパラマウント社に不快感を表したといいますから、この主役交代劇によって、小説と映画が別物になってしまうことを予見していたのでしょう。

 とはいえ、2008年に小説『ティファニー』の新訳を手掛けた村上春樹氏もあとがきで述べておりますが、原作とかい離しているからといって、その映画自体の出来栄えを左右ものでもありません。
 ・・・映画は映画として面白かった。あの時代のニューヨークの風景がとても美しく楽しく描かれていた。だから映画と比較してとやかく言うのはもうやめよう。・・・
 ただ、春樹氏は、原作に忠実なリメイクを望めないものかと続けております。すると、新たな悩みが。
 ・・・なかなか具体的な名前が思い浮かばない。困りますね。本を読みながら、どんな女優がホリーに相応しいか、ちょっと考えてみて下さい。・・・

 「ティファニーの店内にいるみたいな気持ちにさせてくれる場所が、この現実の世界のどこかに見つかれば、家具も揃え、猫に名前をつけてやることだってできるのにな。(村上春樹訳)」
 小説版『ティファニー』で、主人公ホリーは、「ティファニーみたいなところ」を、「自分といろんなものごとがひとつになれる場所」とも語ります。
 そこは、真の安らぎを得られるシェルターのようなところなのでしょうか。
 となるとです、原作に沿うならば、タイトルは「ティファニー(のような場所)で朝食を」というニュアンスをもちえているのかもしれません。
 映画の試写を観たカポーティは椅子からずり落ちんばかりに驚いたといいます。
 早朝、ティファニーのショー・ウィンドウ前で、朝食のクロワッサンをヘップバーンにかじらせるタイトルずばりのベタな設定で映画が始まったからでした。

 原作とかけ離れた演出に、カポーティは茫然自失といったところでしょうが、ジバンシーの黒いドレスをまとったヘップバーン、朝もや煙るマンハッタン五番街、そして流れるは、ヘンリー・マンシー二のあの「ムーン・リバー」。この有名な、映画版『ティファニー』のオープニングの完璧な美しさには、何度観てもため息をつかされてしまいます。

 いつものように、夜7時からスタート予定。
 お楽しみに。

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 1月12日は、村上春樹氏の68回目の誕生日であります。
 今夜のアルック座は、いずれ?ノーベル文学賞を獲るであろうこの世界作家のデビュー作の映画化作品、「風の歌を聴け」。
 
 「小説の世界観がわかっていない」と、ハルキニストからは酷評を浴びておる本作ですが、文章と映像を同一線上で語ること自体、あやしい論議ではあります。
 ただ、本作における成功事例のひとつに挙げてもいいと思うのはキャスティングでしょう。
 「僕」に小林薫、「鼠」に巻上公一。
 これはなかなかナイス配役であります。
   
 映画公開が81年(原作の発表は79年)。
 故に、監督の力量云々とは関係ないところで、過ぎゆく70年代的なものが否応なしに画面に浮流しているわけです。
 それだけで許せてしまうようなところが、店主なんかはありますね。
 たとえば、春樹氏が、そんな時代に国分寺で開いていたジャズ喫茶の店内の様子を想ってみたり。
 それが、映像が及ぼす作用なんでしょう。
 
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 ”好きな映画がロードショー公開された月日に合わせて鑑賞することで当時の季節感を追体験してみたい”シリーズ!
 というわけで、今夜のアルック座は、「ルパン三世 カリオストロの城」。
 37年前の1979年12月15日に公開されました。

怪盗ルパン三世と相棒次元大介は、モナコのカジノの大金庫から売上金を盗み出すことに成功する。浮かれていた二人は、それがゴート札と呼ばれる、史上最も精巧な出来を誇る幻の偽札であることに気づく。

次の仕事としてゴート札の秘密を暴くことを選び、出処と疑われているカリオストロ公国に入国したルパンは、そこでウェディングドレスを身につけた少女が何者かに追われているのに出くわす。ルパンは追手を撃退したものの、少女は別の一団に連れ去られてしまった。

少女の正体はカリオストロ公国大公家の継承者、クラリス・ド・カリオストロ。幼少の頃、駆け出しだったルパンが、若気の至りでゴート札に手を出し、カリオストロ城から逃げて負傷していたところを助けた少女であった。

公国は大公の急逝に伴い、大公位は空位のままで、公国の実質的な統治者には、伯爵家出身で大公の摂政を務めていたラザール・ド・カリオストロ伯爵が就いていた。亡き大公の一人娘クラリスを妻として迎えることで合法的な大公位の獲得を狙っており、クラリスはそれを拒絶して逃亡、伯爵の部下達に追われていたのだ。

クラリスは、伯爵の居城であるカリオストロ城の一室に閉じ込められてしまう。ルパンは彼女を救出するため、石川五右エ門を呼び寄せるが、ルパンが伯爵の元へ送った予告状のことを聞きつけた銭形警部も、警官隊を引き連れてやってくる。別途、ゴート札の原版を狙い召使いとして城内に潜入していた峰不二子も加わり、カリオストロ城を舞台にクラリス姫の救出とゴート札の謎をめぐっての大混戦が展開される。(ウィキペディアより抜粋)

 あのスピルバーグに「史上最高の冒険活劇の1つ」と言わしめた、宮崎駿の映画初監督作品。
 店主は高校時代、弘前の映画館で本作を立ち観した後、早く終わんないかなあとカンフー映画「Mr.Boo!」(今考えると、ありえない二本立てであります。)を不本意ながら見やり、席に座り直して二度観してしまいました。
 とにかく、幼少時代に観た「東映まんがまつり」とは明らかに異質で新しいアニメの可能性を、興奮を持って目の当りにした記憶があります。
 思えば古い話になっております。
 宮崎監督は実質隠居状態ですし、ルパン役の山田さんも、銭形役の納谷さんも鬼籍に入ってしまいましたものね。

 寂しい限りであります。
 

 ご承知のように、アニメファンはもちろん、映画の玄人筋からも評価の高い本作。

 テレビ放映の際には毎回視聴率をたたき出すのもうなづけます。

 アニメでは、アルック座がとりあげる唯一の作品になります。
 いつものように夜7時からスタート。 

 お楽しみに。

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 あっという間の年の瀬
 今年足を運んだライブをつらつら上げてみますと、4月武道館、テデスキ・トラックス・バンド。同じく4月オーチャードホール、ボブ・ディラン。5月新木場スタジオ・コースト、ニューオーダー。10月国際フォーラム、吉田拓郎。そして今週日曜観てきたばっかりの豊洲PIT、アラバマ・シェイクスといったところ。
 並べてみると、あいかわらず脈絡があるようでない雑多なラインナップでありますが、店主にはどれも心に残るいいライブばかりでありました。
 今年おもしろかったのは、これら生ライブにまさるとも劣らない衝撃を受けた音楽体験が他にもあったこと。
 今夜のアルック座は、店主にそれをもたらしてくれたドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years」であります。

 ビートルズほど音源、映像、書籍その他の膨大なアーカイブが存在するバンドは類い稀でありましょう。
 当然のことながら、熱狂的マニアになればなるほど彼らの目新しい情報に触れる機会はほぼない状況に陥ってる?と思われます。
 ところが本作においては、1963年から始まる15か国90都市166公演に及ぶワールドツアーに焦点をあてたものであるがために、各国に散らばって埋もれていたかなりの数のライブや記者会見の映像の掘り起こし作業が進められ、それらと大半を占めるのですが既知の映像が編集の妙というやつで、史上最強バンドのツアー絵巻として見事に紡がれておるのです。
 硬直、凝視状態の店主。
 田舎の映画館の3本立てビートルズ祭りにおいて、中学生だった店主が「動くビートルズ」を初めて目にした大興奮が感涙とともに蘇ったのは言うまでもないのですが、モニターなしで慣行された世界初の野球場コンサートを極めつけに、このツアーの実像が演る方も観る方も予想がつかない無謀なライブ興行の連続だったということもまた悲しいかな伝わってきます。
 おふざけで演奏のフリと口パクで通したときに誰にも気づかれなかったという逸話が残っているほど、すさまじかった女の子たちの嬌声。
 いつの間にか「見世物」化していた自分たちに演奏のモチベーションも徐々に低下していき、1966年8月29日のサンフランシスコ、キャンドルスティック・パークでの公演を最後に彼らが観客の前に立つことは二度とありませんでした。

 「この映画の狙いの1つは、ビートルズのライブを生で観るチャンスに恵まれなかった世代に、それがどのようなものだったかを伝えることだ。(公式パンフレットより)」
 まさしく、音も映像もリマスタリングされて磨き上げられたた大画面上のライブシーンは、映画という媒体を通して観ていることをつい忘れてしまうほど瑞々しく艶やかに迫ってまいります。
 音楽史におけるビートルズへの最高評価が定まってずいぶん久しいと思いますが、振り返ってみれば、コンサートツアーの中止以降に「レコーディングバンド」として生み出した傑作アルバムがどれも鮮烈すぎて、ともすれば「ライブバンド」であった頃のビートルズの印象の方はというと、古めかしいモノクローム映像の世界に置き去りにされたままになっていたのかもしれません。
 「俺たちの最高傑作は結局レコーディングされずに終わってしまった。ストレートなロックをプレイしていた頃の俺たちの生み出すサウンドは本当に素晴らしかった。イギリスじゃあ、誰も俺たちに及ばなかった。」
 渋谷陽一さんがラジオで紹介していたライブ活動をしていた頃のビートルズを評したジョン・レノンの言葉です。
 とにかく生きがよくて、パンキーで、ときにはかなり黒っぽい音を出していた「凄腕ライブバンド、ザ・ビートルズ」を2016年の今、最高のかたちで呼び覚ましてくれた「EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years」。
 ジョンがもし生きていてこの映画を観たら少しは溜飲を下げられたのかもしれません。

 いつものように夜7時くらいからスタート。
 お楽しみに。

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