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店主、「セザンヌ-パリとプロヴァンス展」を観る。

 今回の新美のセザンヌ展ですが、約90点という過去最大級の規模もさることながら、画家がその画を制作した場所に注目して展示が成されていたというのがユニーク。

 タイトル下に引かれた線の色(青がパリ、オレンジがプロヴァンス)によって、観覧者はそれを確認できる仕組みなのですが、たとえば、生涯約100点も描いたという例のりんご絡みの静物画にしても、パリのアパルトマンで描かれたものが比較的平板にみえるのに対して、その後、プロヴァンスで描かれたものには、多視点で捉えられた複数のモチーフを同一構図に埋め込むという手法(主たる視線は横なのに、上から見てるような器もあったりして...)が持ち込まれていて、同じ主題を描いたものでも、後者は「絵的なおもしろさ」がまさに完熟しているという印象であります。

 サント・ヴィクトワール山をはじめ、南仏の自然がセザンヌに生涯のテーマを与え続けたのは確かですが、もし彼がプロヴァンスに引きこもりっ放しの画家だったとしたら、ピカソにキュビズムへと舵をとる啓示を与えた「近代絵画の父」としての評価を得ることはなかったかもです。
 

 セザンヌ曰く、「自然は、円球、円錐、円筒、でできている」。
 印象派との交わりは、規則的な筆触やモティーフの色面把握を用いて対象物を再構築するという彼の革命的絵画手法の確立に伴って少なくなっていったとのことですが、40数年の画家人生における20回以上ものパリ、プロヴァンス間の行き来を思うに、プロヴァンスでの絵画的「熟成」作業には、芸術全般の最先端に触れることのできたパリ界隈での何かしらの「つかみ」が必要だったのでしょうか。

 さらに曰く、「エクスで生まれた者は、それ以上の場所を発見できなくなってしまう」。
 晩年のエクス・アン・プロヴァンスでの絵画制作は、この地の出まれであるという地の利を生かしたものともとれますが、内向的、内省的なタイプといわれるセザンヌを、こうまでパリへ駆り立てたのは、南仏の片田舎の出というコンプレックスもあったかもしれません。


店主、「セザンヌ-パリとプロヴァンス展」を観る。_a0187509_1954267.jpg

 「壺、カップとりんごのある静物」
 1877年頃 油彩、カンヴァス 60.6×73.7cm メトロポリタン美術館
 *パリ、ウエスト通りのアパルトマンにて制作

 
店主、「セザンヌ-パリとプロヴァンス展」を観る。_a0187509_19543888.jpg

 「りんごとオレンジ」
 1899年頃 油彩、カンヴァス 74.0×93.0cm オルセー美術館
 *エクス・アン・プロヴァンス、ジャズ・ド・ブッファン(セザンヌ家別荘)にて制作





by arkku | 2012-06-10 23:23 | 雑記